陽炎型 · 7番艦 · 第十六駆逐隊
HATSUKAZE 初風
妙高に衝突し、総員戦死したブーゲンビル島沖の艦
陽炎型駆逐艦7番艦。陽炎型19隻中唯一、神戸川崎造船所で建造され、1940年2月竣工。「雪風の妹」として第十六駆逐隊で戦い、1943年1月には米魚雷艇の雷撃から生還した。しかし同年11月2日、ブーゲンビル島沖海戦で重巡「妙高」に衝突・艦首喪失、米駆逐群の砲火を受け戦没。乗組員260名、生存者はいなかった。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
陽炎型 7番艦
DISPLACEMENT
2,033 t
MAX SPEED
35.5 kt
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1943.11.2 戦没
| 艦名 | 初風(はつかぜ) |
| 艦型・番艦 | 陽炎型駆逐艦 7番艦 |
| 建造所 | 神戸川崎造船所(陽炎型19隻中、唯一この造船所で建造) |
| 起工日 | 1937年12月3日 |
| 命名 | 1938年9月20日(親潮・夏潮と同日) |
| 進水日 | 1939年1月24日(雪風より早い) |
| 竣工日 | 1940年2月15日(雪風より約1ヶ月遅い) |
| 主砲 | 三年式50口径12.7cmC型連装砲 3基6門 |
| 魚雷発射管 | 61cm4連装水上発射管 2基 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷 |
| 初代艤装員長 | 高橋亀四郎中佐(1939年11月15日任命、吹雪型「曙」艦長からの転任) |
| 戦没時艦長 | 芦田部一中佐(海兵50期、艦と共に戦死) |
| 所属駆逐隊 | 第十六駆逐隊(雪風・天津風・時津風) |
| 特記事項 | 1943年1月、米魚雷艇の雷撃で大破するも生還。同年11月、ブーゲンビル島沖海戦で総員戦死 |
| 戦没 | 1943年11月2日 ブーゲンビル島沖(エンプレス・オーガスタ湾) |
| 戦没原因 | 視界不良下の回避運動中、重巡「妙高」と衝突し艦首喪失。米第45駆逐群の集中砲火を受け沈没 |
| 戦死者 | 260名(艦長芦田部一中佐以下、総員戦死) |
| 沈没地点 | 南緯06度00分 東経153度58分 |
| 慰霊碑 | 1989年、呉の旧海軍墓地に建立(元乗組員遺族の尽力による) |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没まで
1937年12月3日 — 起工
神戸川崎造船所で起工
- 陽炎型19隻中、唯一この造船所で建造された艦。
1940年2月15日 — 竣工
竣工。第十六駆逐隊(雪風・天津風・時津風)に編入
- 呉鎮守府籍。第二水雷戦隊所属。
1941年12月8日 — 開戦
ダバオ空襲支援、南方攻略作戦
- 神通・天津風と共に龍驤航空隊のダバオ空襲を支援。レガスピー、メナド、ケンダリー、アンボン、クーパン攻略作戦に参加。
1942年2月27日 — スラバヤ沖海戦
海戦後、米潜水艦シールを爆雷攻撃
- 神通を狙う敵潜への攻撃は取り逃がす。バウエアン島付近ではオランダ潜水艦K-10と交戦、天津風の爆雷でK-10自沈。
1942年6月 — ミッドウェー海戦
攻略部隊輸送船護衛
- 海戦の帰趨をほとんど知ることなく引き返した。
1942年6-9月 — ガダルカナル戦
雪風と毎月駆逐隊司令の座を交代
- 激戦区に投入され続けた。
1943年1月10日 — 魚雷艇の雷撃
被雷・大破、自沈検討も生還
- エスペランス岬付近で魚雷艇の襲撃を受け艦橋付近に被雷。戦死8名・負傷12名。通信・操舵装置故障。小柳富次少将が自沈を検討するも、時津風・江風・嵐の護衛で16ノットにてショートランドへ生還。
1943年〜秋 — 修理・護衛任務
翔鶴・瑞鶴・妙高護衛で本土帰還
- 7月12日修理完了。時津風と共に本土帰還したため第三次ソロモン海戦には不参加。12月31日、時津風・秋月と瑞鶴護衛でトラックへ再進出。
1943年11月1日 — ブーゲンビル逆上陸支援
第二警戒隊(阿賀野・長波・初風・若月)として出撃
- 米軍機発見により逆上陸作戦自体は中止。連合襲撃部隊はブーゲンビル島の連合軍輸送船団撃滅を目指し進撃継続。
1943年11月2日 00:27-02:57 — ブーゲンビル島沖海戦
妙高と衝突、艦首喪失後に沈没
- 視界不良下の避弾運動中に隊列から脱落、妙高左舷に衝突し艦首完全喪失。02:57、アーレイ・バーク大佐率いる第45駆逐群の集中砲火を受け沈没。艦長以下260名総員戦死。
1989年 — 慰霊碑建立
戦没から44年、呉の旧海軍墓地に建立
- 最後の航海長・岩崎大尉の未亡人らの尽力による。
SUMMARY
RECORD
初風 全艦歴まとめ
陽炎型7番艦「初風」は、陽炎型19隻中唯一、神戸川崎造船所で建造された艦である。第十六駆逐隊で「雪風の妹」として戦い、スラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦、ガダルカナル攻防戦を経験。1943年1月には米魚雷艇の雷撃で大破し自沈すら検討されたが、僚艦の護衛のもとショートランド泊地へ生還した。しかし同年11月2日、ブーゲンビル島沖海戦で視界不良下の回避運動中に重巡「妙高」と衝突、艦首を完全に喪失し、米第45駆逐群の集中砲火を受けて戦没した。艦長芦田部一中佐以下、乗組員260名の全員が戦死した。
語られなかった最期——生存者がほとんどいなかった初風の最期は、僚艦「妙高」の艦首に引っかかった鉄板の切れ端によってのみ、間接的に目撃された。慰霊碑の建立が44年後の1989年までかかったという事実が、この艦の乗組員の記憶がいかに長く沈黙を強いられてきたかを物語っている。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書58・96『南太平洋陸軍作戦<4>/南東方面海軍作戦(3)』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)初風関連公文書・第十六駆逐隊戦時日誌戦闘詳報
- ・当時「羽黒」信管手・海軍二等兵曹井上司郎『五戦隊「羽黒」ブーゲンビル島沖海戦』
- ・重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦』潮書房光人社、2014年
- ・外山三郎『図説 太平洋海戦史 第3巻』光人社、1995年
- ・戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ』
- ・Wikipedia「初風 (駆逐艦)」「陽炎型駆逐艦」「ブーゲンビル島沖海戦」