夕雲型 · 17番艦 · 第2駆逐隊
HAYASHIMO 早霜
谷風轟沈を目撃し、自らの座礁に僚艦2隻を呼び寄せた艦
舞鶴海軍工廠が建造した夕雲型駆逐艦17番艦。マリアナ沖海戦での救助任務を経て、1944年10月26日、レイテ沖海戦からの撤退中にセミララ島へ擱座。救援に来た「藤波」「不知火」が相次いで眼前で轟沈するという悲劇に見舞われ、自らの最期の詳細も判然としないまま除籍された諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
夕雲型 17番艦
DISPLACEMENT
2,077 t
MAX SPEED
35 kt
MAIN GUN
12.7cm連装 × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1944.10.26 セミララ島に擱座
| 艦名 | 早霜(はやしも) |
| 艦型・番艦 | 夕雲型駆逐艦 17番艦 |
| 仮称艦名 | 第345号艦(1942年度マル急計画) |
| 建造所 | 舞鶴海軍工廠 |
| 起工日 | 1943年(昭和18年)1月20日 |
| 命名 | 1943年(昭和18年)7月31日 |
| 進水日 | 1943年(昭和18年)10月20日 |
| 竣工日 | 1944年(昭和19年)2月20日 |
| 除籍日 | 1945年(昭和20年)1月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 籍 | 横須賀鎮守府籍 |
| 全長 | 119.3m |
| 基準排水量 | 2,077t |
| 満載排水量 | 約2,900t |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 最大速力 | 計画35ノット |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm連装砲 3基6門 |
| 機銃 | 九六式25mm連装機銃 2基(竣工時、後に増備) |
| 魚雷発射管 | 61cm九二式4連装発射管 2基8射線 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷 16本 |
| 爆雷兵装 | 九四式爆雷投射機 1基(九五式爆雷18〜36個) |
| 初代艤装員長・艦長 | 荒井靖夫中佐(1944.1.10〜1944.4.2) |
| 2代目艦長 | 平山敏夫少佐(1944.4.2〜1944.12.1解職、前「秋霜」艦長) |
| 所属部隊 | 第十一水雷戦隊(訓練)→第2駆逐隊(秋霜・清霜)/第二水雷戦隊 |
| 特記事項 | 1944年6月9日、僚艦「谷風」が米潜水艦の雷撃で眼前で轟沈するのを目撃、生存者を救助。マリアナ沖海戦では空母「飛鷹」乗員の救助にもあたった |
| 最期 | 1944年10月26日、レイテ沖海戦からの撤退中に空襲を受け艦首・二番煙突を喪失、セミララ島の浅瀬に自ら擱座。救援に来た「藤波」「不知火」が相次いで眼前で轟沈するも、自身の最期の詳細は不明のまま放棄された |
TIMELINE
HISTORY
早霜 全戦歴タイムライン
1943年1月20日 — 起工
舞鶴海軍工廠にて起工(仮称第345号艦)
- 1942年度マル急計画による駆逐艦として建造開始。7月31日「早霜」と命名され夕雲型駆逐艦に類別。10月20日進水、横須賀鎮守府籍に。
1944年2月20日 — 竣工
竣工。第十一水雷戦隊で訓練
- 荒井靖夫中佐が初代艦長に着任。瀬戸内海で訓練、甲標的の訓練協力もおこなう。
- 3月中旬から空母「龍鳳」の護衛、続いて空母「大鳳」の護衛にあたる。
- 4月2日、艦長が荒井中佐から平山敏夫少佐(前「秋霜」艦長)に交代。
- 4月21日、戦艦「大和」を臨時に護衛。
1944年5月〜6月 — タウイタウイ、谷風轟沈
機動部隊編入、僚艦「谷風」の轟沈を目撃
- 5月10日、「秋霜」「響」「電」と共に機動部隊へ編入。戦艦「武蔵」・空母6隻を護衛してタウイタウイ泊地へ進出。
- 6月9日、対潜掃討中の僚艦「谷風」が米潜水艦「ハーダー」の雷撃で「磯風」「早霜」「島風」の眼前で轟沈。3隻は「沖波」と共に生存者を救助。
1944年6月19〜20日 — マリアナ沖海戦
機動部隊乙部隊所属、空母「飛鷹」乗員を救助
- 戦艦「長門」等と共に米軍機と交戦。6月20日の対空戦闘で空母「飛鷹」が沈没、「早霜」以下各艦が乗組員救助にあたった。
- 6月22日、「満潮」と共に「時雨」へ燃料補給。6月24日柱島泊地に帰投。
1944年6月29日〜8月 — シンガポール進出
妙高・羽黒護衛、第2駆逐隊編成
- 「秋霜」と共に重巡「妙高」「羽黒」を護衛してマニラ経由シンガポールへ(7月12日到着)、リンガ泊地で整備・訓練。
- 8月15日、早霜・秋霜・清霜で第2駆逐隊を編成(司令・白石長義大佐)、第二水雷戦隊(旗艦「能代」)に編入。
1944年10月14〜19日 — マニラ迂回、ブルネイ集結
マニラ空襲のため引き返し、栗田艦隊とブルネイで合流
- 「秋霜」と共にリンガ発マニラへ向かうが、10月17日マニラ湾口で空襲に遭遇し引き返してブルネイへ。
- 10月18日捷一号作戦発動、10月19日ブルネイ着。栗田艦隊(第一遊撃部隊)も遅れて到着。
1944年10月23〜24日 — パラワン水道・シブヤン海
愛宕・摩耶沈没、武蔵護衛のため分離
- 10月23日、パラワン水道で米潜水艦の攻撃により重巡「愛宕」「摩耶」沈没、「高雄」大破。
- 10月24日シブヤン海で空襲。「秋霜」「清霜」も損傷を受ける中、「早霜」は損傷した「浜風」と共に戦艦「武蔵」護衛のため栗田艦隊主隊から分離。
1944年10月25日夕刻
サマール沖海戦後、空襲で損傷
- 25日朝、栗田艦隊はサマール沖で米護衛空母部隊を追撃するが戦果は乏しい。
- 夕刻、「早霜」は爆撃を受けて損傷。栗田長官は単艦でのコロン湾回航を命じるが、危険と判断し「秋霜」に護衛を下令。
- 「秋霜」が分離反転して合流。応急修理で自力航行可能となった「早霜」と2隻でサンベルナルジノ海峡を突破し栗田艦隊本隊を追跡。
1944年10月26日午前
単独空襲でセミララ島に擱座
- 午前7時50分、栗田艦隊本隊を発見するが、第2駆逐隊司令(白石大佐、「早霜」座乗)の命令で「秋霜」が護衛を解かれる。15分後、対空戦闘開始。
- 9時過ぎ「秋霜」が「早霜」に戻るが、直後に軽巡「能代」が沈没。「秋霜」は「浜波」と共に能代救援へ分離。
- 取り残された「早霜」は単独航行中に第38任務部隊艦載機の攻撃を受け、艦首部・中央部に命中弾。艦首と二番煙突を喪失し、沈没を防ぐためアンティーケ州セミララ島の浅瀬に自ら擱座。
1944年10月26〜27日
救援艦「藤波」「不知火」が相次いで眼前で轟沈
- 「鈴谷」生存者を収容して遅れていた「沖波」が擱座した「早霜」を発見、横付けして燃料補給を試みる(早霜の使用可能燃料は約5トンのみ)。
- この時、約10km沖を航行する「藤波」を発見するが、目前で空襲を受け轟沈。「早霜」「沖波」も空襲を受け、「沖波」は横付けを離れコロン湾へ回避。
- 10月27日午前9時35分頃、「鬼怒」「浦波」救援に向かっていた「不知火」が擱座中の「早霜」を発見・接近するが、セミララ島西方で空襲を受け沈没。「早霜」はその光景を目撃した。
1944年11月1日 — 発見、そして放棄
那智の水偵が発見、その後放棄される
- 重巡「那智」(第二遊撃部隊旗艦)の水上偵察機が擱座中の「早霜」を発見して着水、「不知火」の最期を聞き出す。
- その後「早霜」は放棄。田中大尉以下約30数名が艦に残っていたとされるが、その後の消息は不明。
- 米軍のフィリピン奪回後、調査班が擱座艦を調査。船体規模の海中構造物がセミララ島イトガオ湾に今も確認できるという。
1944年12月1日〜1945年1月10日 — 除籍
艦長職務解任、そして除籍
- 12月1日、平山中佐が早霜駆逐艦長の職務を解かれる。
- 1945年1月10日、夕雲型駆逐艦・第2駆逐隊・帝国駆逐艦籍のいずれからも除籍された。
SUMMARY
RECORD
早霜 全艦歴まとめ
早霜は1944年2月に舞鶴海軍工廠で竣工した夕雲型駆逐艦17番艦。1944年6月9日には僚艦「谷風」が眼前で轟沈するのを目撃し生存者を救助、マリアナ沖海戦では空母「飛鷹」の乗員救助にもあたった。レイテ沖海戦では戦艦「武蔵」の護衛にあたった後、10月25日夕刻に空襲で損傷。僚艦「秋霜」の護衛でサンベルナルジノ海峡を突破するも、翌26日、単独航行中に再度の空襲を受け艦首と二番煙突を喪失し、セミララ島の浅瀬に自ら擱座した。救援に駆けつけた「藤波」「不知火」の2隻が相次いで眼前で轟沈するという悲劇に見舞われ、「早霜」自身は放棄されたまま、艦に残った約30数名の乗員の消息を含め、最期の詳細は今も判然としていない。1945年1月10日除籍。
15分の分かれ道——「秋霜」が「早霜」の護衛を解かれてから対空戦闘開始まで、わずか15分だった。この判断が、両艦の運命の分岐点になった。
助けに来た艦が、目の前で消えていく——擱座した「早霜」を救おうとした「藤波」「不知火」が、2日連続でその眼前で轟沈した。夕雲型19隻の中でも、最も理不尽な巡り合わせを背負った艦である。
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■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)駆逐艦秋霜戦闘詳報・第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報・第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書56巻『海軍捷号作戦(2) フィリピン沖海戦』、戦史叢書81巻『大本營陸軍部<9>』関連巻
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫、1993年
- ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- ・岸見勇美『地獄のレイテ輸送作戦』光人社NF文庫、2010年
- ・重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦』潮書房光人社、2014年
- ・山本平弥ほか『秋月型駆逐艦〈付・夕雲型・島風・丁型〉』潮書房光人社、2015年
- ・Wikipedia「早霜 (駆逐艦)」「夕雲型駆逐艦」
- → 【諸元と全戦歴】清霜——武蔵護衛から礼号作戦での最期まで