特Ⅱ型駆逐艦 綾波——ソロモンの黒豹・諸元と全戦歴

吹雪型 · 11番艦(特Ⅱ型ネームシップ) · 第19駆逐隊
AYANAMI 駆逐艦 綾波
ソロモンの黒豹

1930年竣工、吹雪型(特型)駆逐艦11番艦。艦橋大型化・主砲仰角75度への引き上げを実現した特Ⅱ型のネームシップ。1942年11月、第三次ソロモン海戦でサボ島に孤立した末、米戦艦ワシントン・サウスダコタを含む6隻に単艦突入。駆逐艦2隻を屠り「黒豹」の異名を得たが、翌朝サボ島近海で沈没した。

諸元データ
竣工時兵装基準・サマリー
艦型
吹雪型11番艦
建造所
藤永田造船所
基準排水量
1,980t
最大速力
38.0kt
主砲
12.7cm連装砲B型
3基6門(仰角75度)
魚雷兵装
61cm3連装発射管3基
9射線
艦名綾波(あやなみ)
艦型・番艦吹雪型(特型)駆逐艦 11番艦(特Ⅱ型・綾波型ネームシップ)
艦名の由来神風型駆逐艦(初代)「綾波」に続き2隻目(海上自衛隊あやなみ型護衛艦にも継承)
仮称艦名第四十五号駆逐艦
建造所藤永田造船所
起工日1928年(昭和3年)1月20日
進水日1929年(昭和4年)頃(資料により詳細不明)
竣工日1930年(昭和5年)4月30日
除籍日1942年(昭和17年)12月15日
類別一等駆逐艦
全長118.5m
全幅10.36m
機関艦本式タービン2基2軸(純国産)
速力38.0kt(計画値、特Ⅱ型標準値)
航続距離9,260km(14kt巡航時)
乗員219名
主砲50口径三年式12.7cm連装砲B型:3基6門(特Ⅰ型のA型〈仰角40度〉から、仰角75度に引き上げ。全周囲シールド付)
魚雷発射管一二年式61cm3連装水上発射管:3基(計9射線、魚雷予備含め18本搭載)
搭載魚雷九〇式魚雷(1935年頃更新)
対空機銃(最終)九三式13mm単装機銃:2挺
所属駆逐隊履歴第19駆逐隊(綾波・敷波・浦波・磯波、就役時〜終始)
主要艦長履歴(初代〜歴代艦長は資料限定的)/作間英邇中佐(戦没時艦長、生存)
特記事項①特Ⅱ型として艦橋構造物の大型化、缶室吸気口の「お椀型」化(以後の日本駆逐艦の標準形状)を実現
特記事項②1934年友鶴事件・1935年第四艦隊事件を受け、主砲換装等の重心低下改修を実施
特記事項③1942年11月14日、第三次ソロモン海戦・第二夜戦でサボ島西側に単艦で孤立し、米戦艦ワシントン・サウスダコタ含む6隻と交戦。駆逐艦2隻撃沈・1隻炎上、戦艦サウスダコタの電気系統を一時不能にしたとされる
異名「黒豹」「ソロモンの鬼神」
最終結末1942年11月15日、第三次ソロモン海戦での被弾損傷により、サボ島南東3海里の地点で沈没。乗員の8割以上が生還、艦長作間英邇も生存し証言を残した
■ 特Ⅱ型(綾波型)駆逐艦について
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦「吹雪型(特型)」。昭和2年度計画で建造された「綾波」以降の10隻(綾波・敷波・朝霧・夕霧・天霧・狭霧・朧・曙・漣・)は、艦橋構造物が特Ⅰ型より大型化し、缶室吸気口を「お椀型」に変更、主砲も仰角40度のA型から75度のB型砲に進化した「特Ⅱ型」(綾波型)として位置づけられる。綾波はこの特Ⅱ型のネームシップとして、藤永田造船所で建造された。
全戦歴タイムライン
竣工から戦没・除籍まで
1928年1月20日 — 起工
藤永田造船所で起工、第四十五号駆逐艦と命名
  • 1930年4月30日竣工。「磯波」「浦波」「敷波」と共に第19駆逐隊を編制。
1932年〜1937年 — 日中戦争
上海・杭州湾で活躍
  • 第19駆逐隊として日華事変の各作戦に従事。
1934年〜1935年
友鶴事件・第四艦隊事件後の改修
  • 復原性能・船体強度の問題が発覚し、海軍は全艦艇の検査を実施。綾波も主砲換装等、重心低下のための改修を受ける。
1941年12月 — マレー作戦
輸送船団護衛として参加
  • 第19駆逐隊(綾波・敷波・浦波・磯波)として開戦劈頭の作戦に従事。
1942年1月〜4月
フィリピン・蘭印・インド洋方面作戦
  • フィリピン、パレンバン、ジャワ、アンダマン攻略作戦に参加。4月22日、呉へ帰投し損傷したスクリュー等の整備を実施。
1942年6月 — ミッドウェー作戦
連合艦隊護衛として参加、海戦には不参加
  • 連合艦隊主力部隊の護衛として出撃したが、実際の海戦には参加していない。
1942年8月〜11月 — ガダルカナル鼠輸送
輸送任務に7回従事
  • 8月、ガダルカナル戦生起によりB作戦(インド洋作戦)の準備を中断、ショートランドへ進出。以後、鼠輸送に7回従事。
1942年11月14日深夜 — 第三次ソロモン海戦・第二夜戦
サボ島に単艦で孤立
  • 近藤信竹中将麾下の前進部隊(射撃隊:愛宕・高雄・霧島、直衛隊:長良以下駆逐艦多数)の前路警戒として、第三水雷戦隊(川内・綾波・敷波・浦波)がサボ島付近を航行。
  • 掃討隊は「川内・綾波」がサボ島西側、「敷波・浦波」が東側に分離。東側の浦波が敵艦隊らしき艦影を発見、報告を受けた川内は浦波隊支援のためサボ島北側を通り急速に離れる。綾波は当初の予定通りサボ島西側で単艦となった。
1942年11月14日深夜 — 単艦突入
米戦艦2隻含む6隻と交戦
  • 巡洋艦と誤認していた艦影の正体は、新鋭戦艦「サウスダコタ」「ワシントン」を含む米主力艦隊6隻(戦艦2、駆逐艦4:プレストン・グウィン・ベンハム・ウォーク)だった。
  • 綾波は単艦で奇襲をしかけ、初弾で米駆逐艦「プレストン」を炎上、続けて「ウォーク」を撃沈。「ベンハム」の艦首を吹き飛ばし戦闘不能に(同日夕方、浸水のため自沈処分)。
  • 戦艦「サウスダコタ」の電気系統を一時的に断ち切り、砲戦不能にさせたとされる(自艦の主砲発射の衝撃によるヒューマンエラーとの異説もあり)。
  • 日本側はこの戦闘を「大型巡洋艦1隻・駆逐艦2隻撃沈」と記録、大本営発表でも誤認を含む戦果が発表された。米側記録では綾波の魚雷攻撃は命中していないとされる。
1942年11月15日 — 戦没
被弾、サボ島近海で沈没
  • 単艦での激闘の末、綾波は被弾し航行不能となる。米艦隊からの反撃により損傷を重ね、サボ島南東3海里の地点で沈没。
  • この海戦で日本側は戦艦2隻(比叡・霧島)、重巡1隻(衣笠)、駆逐艦3隻(夕立・暁・綾波)、輸送船11隻を喪失。ヘンダーソン飛行場破壊にも失敗。米軍も軽巡2隻・駆逐艦7隻を喪失する激戦だったが、結果的にガダルカナル島の防衛に成功した。
  • 乗員の8割以上が生還。艦長・作間英邇中佐も生存し、戦後証言を残した。
1942年12月15日 — 除籍
帝国駆逐艦籍から除籍
  • 同日付で、軍艦「衣笠」、駆逐艦「暁」「夕立」も除籍された。
1992年夏 — 残骸発見
ロバート・バラード調査隊が発見
  • タイタニック、戦艦ビスマルクを発見した海洋研究者ロバート・バラードらのチームによるアイアンボトム・サウンド調査で、サボ島海面400m地点に眠る綾波を発見。当初「暁」と思われていたが、暁の元水雷長・新屋徳治が「綾波」であると指摘した。
まとめ
孤立が生んだ伝説——ソロモンの黒豹
吹雪型11番艦・綾波は、特Ⅱ型(綾波型)のネームシップとして建造された艦である。艦橋の大型化、主砲仰角75度への引き上げなど、特Ⅰ型からの進化を体現し、マレー作戦から蘭印・インド洋方面、ガダルカナル輸送まで太平洋戦争の前半を戦い抜いた。

1942年11月、第三次ソロモン海戦では旗艦「川内」が離脱し、サボ島の地形に視界も無線も遮られる中、綾波は完全に孤立した状態で米主力艦隊6隻と対峙することになった。単艦での奇襲により駆逐艦2隻を撃沈・炎上させ、新鋭戦艦の電気系統を一時不能にしたという戦果は、駆逐艦としては異例のものだった。

綾波が残したものは、撃沈数だけではない。孤立という不利な状況下でも戦い抜いたという事実、そして乗員8割以上の生還率という結果——勇戦と生存が両立したこの艦の艦歴は、「ソロモンの黒豹」という異名と共に、今も語り継がれている。

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■ 参考文献・資料

  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書62『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』朝雲新聞社
  • ・片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、2003年
  • ・福井静夫『(写真)日本海軍全艦艇史資料篇』ベストセラーズ、1994年
  • ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
  • ・『日本駆逐艦史』海人社、世界の艦船No.453、1992年
  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報
  • ・Wikipedia「綾波 (吹雪型駆逐艦)」「吹雪型駆逐艦」
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