1942年11月13日午前1時50分、第三次ソロモン海戦・第一夜戦の劈頭。駆逐艦「暁」の探照灯が、右舷前方にいた米軽巡洋艦「アトランタ」を照らし出した。その瞬間、暁は敵全艦隊にとって最も目立つ標的になった。探照灯を照射した艦の宿命——艦首右にいた米駆逐艦から即座に砲撃を受け、暁は一瞬にして航行不能に陥る。集中砲火を浴びながら漂流し、ついに右に傾いて転覆。被弾からわずか15分後のことだった。
吹雪型駆逐艦21番艦・暁は、暁型(特III型)4隻——暁・響・雷・電の1番艦である。「第6駆逐隊」という名で多くの艦これファンにも知られるこの編成の中で、暁は最も早く戦場から姿を消した艦になった。竣工こそ4隻の中で最初だったが、進水・就役は3番艦「雷」・4番艦「電」の方が先という、ねじれた誕生の経緯を持つ艦でもある。
そして——暁が最後に照らし出した光は、敵を撃つための照準ではなく、敵に自らの位置を晒す光だった。探照灯を照射するということの代償を、暁はその身をもって示すことになる。
1930年2月17日
1932年11月30日 竣工
34.0kt(改善工事後)
(特III型・暁型1番艦)
3基6門
9射線
第6駆逐隊(暁・響・雷・電)
(1942年4月13日〜戦没)
第三次ソロモン海戦で被弾後15分で転覆沈没
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。暁・響・雷・電の4隻は、空気予熱器付きの新型ボイラーを採用し、缶の数を4基から3基に減らしながら燃費を10%以上改善するという技術革新を実現した「特III型」(暁型)として建造された。ロンドン海軍軍縮条約による排水量制限のため、この4隻で建造は打ち切られている。
暁は1930年2月17日、佐世保海軍工廠で起工した。1932年5月7日に進水し、5月19日には姉妹艦「狭霧」「漣」による第10駆逐隊が編制される(暁自身はまだ未竣工)。8月20日、高橋一松少佐が初代艤装員長に任命され、11月30日に竣工。竣工と同時に第10駆逐隊へ編入され、同隊は吹雪型3隻(狭霧・漣・暁)となった。
1941年1月から2月、第6駆逐隊はタイ・フランス領インドシナ紛争停戦の示威運動でサンジャック沖に進出。帰国後は2月から11月まで浦賀船渠で特定修理を受けた。7月17日、第一水雷戦隊旗艦は軽巡「阿武隈」から「暁」に変更され、9月26日に元へ戻された——わずか2ヵ月だが、暁が一時的に旗艦を務めた時期である。
太平洋戦争開戦時、第一水雷戦隊旗艦「阿武隈」は南雲機動部隊警戒隊旗艦となり真珠湾攻撃へ向かったが、暁の所属する第6駆逐隊第1小隊(響・暁)は近藤信竹中将率いる南方部隊本隊に編入された。11月29日、佐伯湾から出撃し馬公・三亜を経て12月11日カムラン湾に入港。フィリピン攻略作戦に参じ、12月20日のリンガエン湾上陸作戦を支援した。
1942年1月11日、セレベス島メナド攻略戦を支援。以後、ジャワ作戦船団護衛、バタビア沖海戦などに参加し、3月10日からは再びフィリピン攻略作戦に参加した。3月17日、ルソン島南方のタヤバス湾で第6駆逐隊(暁・響・雷)は米潜水艦「パーミット」を発見し、2日間にわたって攻撃。司令塔に損傷を与えて撃破したものの、撃沈には至らず取り逃がしている。
9月、暁は空母「瑞鳳」「雲鷹」の警戒艦として呉からトラックへ進出。10月13日、ラバウルに到着し、ガダルカナル島増援作戦(鼠輸送)に従事することになる。10月14日、第三戦隊(金剛・榛名)によるヘンダーソン基地艦砲射撃に乗じる形で、暁・雷を含む増援部隊が陸軍兵士1,129名をガダルカナル島へ輸送した。
10月25日午前2時30分、突撃隊(指揮官・山田勇助第6駆逐隊司令)の暁・雷・白露は、米軍小型機4機の空襲を切り抜けてサボ島南方を通過、ルンガ泊地に突入した。掃海駆逐艦「ゼイン」が逃亡を図る中、突撃隊は5カイリに接近して砲撃。命中弾1発を与えるが本来任務との兼ね合いで追撃を断念。再度ルンガ泊地に向かうと、陸揚げ作業中の艦隊曳船「セミノール」と沿岸哨戒艇「YP-284」を発見し、砲撃でYP-284を炎上撃沈、続けてセミノールも撃沈した。続く海兵隊陣地への艦砲射撃では反撃を受け、暁の三番砲塔薬室に1発が命中、戦死4名・重傷2名を出す被害も受けている。
10月17日未明には、暁・雷を含む大規模な輸送作戦が実施されたが、米潜水艦グランパスが軽巡「由良」を雷撃(不発)。暁は由良を掩護して爆雷攻撃を行ったが効果は不明だった。10月24日からの第二次総攻撃支援作戦では、突撃隊として再びルンガ泊地への突入を成功させている。11月1日深夜には、第一攻撃隊(衣笠・川内・天霧・初雪)に続き、暁・雷を含む甲増援隊が大規模輸送に従事した。
11月9日15時以降、暁は前進部隊(旗艦愛宕)と共にトラック泊地を出撃。挺身攻撃隊は寄せ集めの艦隊編成で、一度も共同訓練を行わないまま悪天候の中を進んでいた。11月12日23時30分、ガダルカナル島沖でノーマン・スコット少将率いる米艦隊(重巡2・軽巡3・駆逐艦8)との交戦が始まる。
午前1時50分、暁の探照灯が右舷前方の米軽巡「アトランタ」を照射した。その瞬間、艦首右にいた米駆逐艦から砲撃を受け、暁は一瞬で航行不能となる。砲術長とその部下全員が戦死、操舵装置も破壊された。水雷長・新屋徳治中尉は予備操舵装置を作動させようとしたが、火災のため近づけなかった。暁は制御を失い漂流し、右に傾いて転覆。砲撃を受けてから15分後のことだった。翌朝、新屋の周りには30〜40名の生存者がいたが、米軍に救助され捕虜となったのはわずか18名。木俣滋郎の分析によれば、軽巡ヘレナと駆逐艦アーロン・ワード、あるいは重巡サンフランシスコと駆逐艦オバノンの反撃により機関室に命中弾を受け、火災が火薬庫に引火して沈没したと推定されている。
後から振り返って強く印象にあるのは、双方の艦艇の中で最初に被弾したのが暁ではなかったか、という事実である
水雷長・新屋徳治中尉が、雑誌「丸」に寄せた戦記でこの夜を振り返っている。
——1942年11月13日、第三次ソロモン海戦第一夜戦。1992年の潜水調査では、米側のスチュアート・モアドック教授(当時アトランタ乗艦)との証言対比で、探照灯照射の事実は一致したが、暁を直接砲撃したのは別の艦だったことが判明している。
暁の18〜20名の生存者は捕虜となりニュージーランドへ後送されたが、1943年2月25日に発生した「フェザーストン事件」に巻き込まれた者もおり、戦争終結後に復員できたのはわずか9名だった。12月15日、第三次ソロモン海戦で喪失した重巡「衣笠」、駆逐艦3隻(暁・夕立・綾波)の除籍が決定。暁は帝国駆逐艦籍・白雪型駆逐艦・第6駆逐隊のそれぞれから除籍された。特III型としても、第6駆逐隊としても、最初の犠牲艦となった。
探照灯を照らすという行為は、戦場における「最初の発見者」としての役目であると同時に、最も早く敵の標的になるという宿命でもあった。暁が15分で転覆したという事実は、決して艦そのものの弱さを示すものではなく、夜戦という戦闘形式が持つ過酷な非対称性を物語っている。竣工は4隻中最初だったが、進水・就役は3番艦・4番艦より遅かったというねじれた誕生の経緯も、この艦の物語に静かな伏線として残っている。
暁が残したものは、撃沈数ではなく、「最初に発見し、最初に犠牲になった」という事実そのものだ。今を生きる私たちに、この艦が問いかけるのは——先頭に立つことの誇りと危うさは、常に同じ重さで存在する、という現実かもしれない。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書83『南東方面海軍作戦(1)』朝雲新聞社、1975年
- ・新屋徳治「第三次ソロモン海戦 駆逐艦『暁』ガ島沖に消ゆ」『丸別冊 太平洋戦争証言シリーズ9 ソロモンの死闘』光人社、1988年
- ・落合康夫「特型駆逐艦(朧、曙、漣、潮、暁、響、雷、電)行動年表」『写真 日本の軍艦10 駆逐艦I』光人社、1990年
- ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- ・志賀博ほか『駆逐艦物語』潮書房光人社、2016年
- ・井上尚一『駆逐艦「暁」主計科兵曹どんぱち奮迅録』
- ・高松宮宣仁親王『高松宮日記』第5巻
- ・宮内庁編『昭和天皇実録 第七』東京書籍、2016年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報
- ・Wikipedia「暁 (吹雪型駆逐艦)」