峯風型 · 2番艦(第1号完成艦) · 第二駆逐隊
SAWAKAZE 澤風
峯風型「第1号艦」、日本初の軍艦防波堤となった最古参駆逐艦
三菱長崎造船所が建造した峯風型駆逐艦2番艦。起工から竣工までの全工程を型名艦「峯風」より早く完了させた「第1号艦」であり、峯風型が「澤風型」とも呼ばれる由来となった。25年半の艦歴を経て終戦まで無傷で生存、戦後は日本初の軍艦防波堤として小名浜港を支え、1973年には高松宮宣仁親王臨席のもと艦魂碑除幕式が行われた艦の諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
峯風型 2番艦(第1号完成艦)
DISPLACEMENT
1,215 t
MAX SPEED
39.0 kt(計画)
MAIN GUN
12cm単装 × 4
TORPEDO
53.3cm連装(魚雷8本)
FATE
終戦生存→1948年防波堤に
| 艦名 | 澤風/沢風(さわかぜ)※命名時は旧字体「澤風」表記が正式 |
| 艦型・番艦 | 峯風型駆逐艦 2番艦(起工〜竣工全工程を最速で完了した「第1号艦」) |
| 計画 | 1917年度計画(八四艦隊案) |
| 建造所 | 三菱造船(株)長崎造船所 |
| 進水(命名式) | 1919年(大正8年)1月7日(佐世保鎮守府司令長官・財部彪中将命名) |
| 竣工日 | 1920年(大正9年)3月16日(型名艦「峯風」より早い) |
| 除籍日 | 1945年(昭和20年)9月15日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 全長 | 102.6m |
| 基準排水量 | 1,215t(竣工時)/公試1,345t |
| 出力 | 38,500馬力(計画) |
| 速力 | 39.0ノット(計画) |
| 主砲 | 12cm単装砲 4門 |
| 魚雷発射管 | 53.3cm連装発射管、魚雷8本搭載 |
| 初代艦長 | (心得)神本国太郎少佐(1919年7月18日〜) |
| 最終艦長 | 下田隆夫少佐(1944年8月25日〜終戦時) |
| 所属部隊 | 第二駆逐隊(峯風・矢風・沖風)/第二艦隊第二水雷戦隊他 |
| 特記事項 | 竣工前の予行運転でタービン重大故障を経験。1931年、河西虎三少佐が「峯風」艦長と兼任した時期もあった。1943年、被雷した特設水上機母艦「相良丸」を曳航・擱座成功 |
| 終戦時 | 横須賀にて無傷で終戦。第1特攻戦隊の特攻攻撃訓練目標艦として運用されていた |
| 戦後 | 1948年4月2日、福島県小名浜港に沈設され日本初の軍艦防波堤となる。1965年撤去、タービンは1973年に永久保存記念碑として除幕 |
| 名称継承 | 海上自衛隊たちかぜ型護衛艦3番艦「さわかぜ」(DDG-170)に継承 |
TIMELINE
HISTORY
澤風 全戦歴タイムライン
1919年2月26日 — 予行運転、タービン重大故障
パーソンズ式タービンの深刻なトラブル
- 全力公試移行時に右舷高圧タービンで振動発生、炭素パッキン部焼損。開放検査で右舷高圧・左舷高圧・低圧タービンいずれにも損傷、右舷高圧タービンでは動翼多数脱落・軸屈曲という重大故障が判明。
1920年3月16日 — 竣工
峯風型「第1号艦」として型名艦より早く完成
- 起工・進水・竣工の全工程を型名艦「峯風」より早く完了。この事実から峯風型は文献上「澤風型」「澤風級」とも呼ばれることになった。
1920年12月 — 第二駆逐隊編成
第二艦隊第二水雷戦隊へ編入
- 同型艦「峯風」「矢風」「沖風」とともに第二駆逐隊を編成。
1923年7月16-19日 — 矢風曳航
佐伯湾演習中、故障した僚艦を曳航
- 「矢風」が35ノット高速運転中に推進機が高熱を発し部品の一部が溶解・流失、運転不能に。「澤風」が曳航を開始し19日に呉入港。
1924年6月5日 — 松風とスクリュー接触
試運転帰港時の繋留事故
- 主タービン減速歯車装置の試運転を終え横須賀帰港時、隣にいた神風型「松風」(当時「第七号駆逐艦」)とスクリュー同士が接触。両艦とも入渠修理となる。
1925年6月3日
択捉島単冠湾で濃霧のため座礁
- 和田省三艦長率いる「澤風」が程越岬付近で暗礁に乗り上げ、艦首部に甚大な損害とキール折損。艦底部に最大160cmの破孔を生じつつも離岩に成功。
- 函館船渠で補強工事のみ実施後、横須賀工廠で本格修理。
1927年9月23日
長浦港沖、曳船との衝突事故
- 森口重市艦長率いる「澤風」と曳船「第一横須賀」(300トン)が接触、曳船側沈没。
- 強風下、多数の艦艇が停泊する狭い海域で発生。森口艦長の的確な指令で当初の衝突は回避したが、強風に押し流され最終的に衝突。
1928年11月15日 — 漁船との衝突
北海道忍路港沖、海難審判に発展
- 柴田力艦長率いる「澤風」が漁船「第三永福丸」(9トン)と衝突し、漁船側の船首部を損壊。
1930年11月 — トンボ釣り
第1航空戦隊編入、空母「赤城」直衛
- 第2駆逐隊が第1航空戦隊に編入され、空母「赤城」直衛として不時着機搭乗員の救助(トンボ釣り)に従事。
1932年1月 — 第一次上海事変
長江水域の諸作戦に参加
- 野村吉三郎中将司令長官の第三艦隊編制にともない、第一航空戦隊(空母加賀・鳳翔、第2駆逐隊)として上海に集結。睦月型各駆逐隊とともに作戦行動、長江水域の諸作戦に参加。
1935-1941年 — 練習艦としての日々
館山航空隊、横須賀鎮守府練習駆逐艦
- 1935年4月、館山海軍航空隊の練習艦に。1938年12月予備艦となるも引き続き同航空隊の飛行訓練に協力。
- 1939年11月、横須賀鎮守府練習駆逐艦に。1941年9月、再び館山航空隊付属として飛行訓練協力。
1942年3-4月 — 対潜掃討、ソ連船拿捕
朝日山丸救援、セルゲイ・キロフ拿捕
- 3月、館山を拠点に東京湾口で対潜掃討。3月8日、特設運搬艦「朝日山丸」が米潜水艦「グレナディアー」の雷撃を受け浸水(沈没には至らず)、「澤風」が救助・護衛を命じられ横須賀まで回航。
- 4月17日、御蔵島沖でソ連船「セルゲイ・キロフ」を拿捕、伊東へ連行。
- 11月、室蘭までの船団護衛、東京湾口対潜掃討に従事。
1943年3-6月 — 修理、船団護衛
横須賀工廠での修理、横須賀-神戸間護衛
- 3月30日から5月29日、横須賀工廠で修理。6月、横須賀-神戸間の船団護衛に従事。
1943年6月23-24日
相良丸の曳航、玉波・若月も協力
- 神子元島沖で特設水上機母艦「相良丸」が米潜水艦「ハーダー」の雷撃を受け航行不能に。「澤風」が曳航開始、夕雲型「玉波」・秋月型「若月」も救難・護衛に協力。
- 24日、天竜川河口に擱座成功。だが「相良丸」は7月4日「ポンパーノ」の攻撃で魚雷2本命中、9月1日船体放棄・除籍。
1943年9月9日 — 甲陽丸の喪失
曳航開始から1時間余りで沈没
- 米潜水艦「ハーダー」が犬吠埼東南東で輸送船団を発見、魚雷3本発射のうち1本が「甲陽丸」に命中(不発ながら船体に亀裂)。
- 被雷半日後の14時、船体放棄。15時「澤風」が救助・曳航開始も16時17分沈没。
1943年10月26日 — 飛鷹護衛
空母護衛任務
- 陽炎型「浜風」とともに空母「飛鷹」護衛のため横須賀を出港、内海西部へ。12月16日から翌年1月13日まで横須賀工廠で修理。
1944年1月14-17日
乙作戦支隊、でりい丸喪失と謎の掃討戦
- 敵潜水艦誘致作戦(乙作戦支隊)に参加予定も、護衛艦の離脱で「でりい丸」が単独行動中に米潜水艦「ソードフィッシュ」の雷撃を受け沈没、乗員の8割が戦死。
- 「澤風」急行、「第50号駆潜艇」「第23号掃海艇」と合計30発の爆雷投下で対潜掃討、「撃沈確実」と判定。
- 戦後判明:実際の「ソードフィッシュ」は既に離脱済みで誤認戦果と判明。正体不明の対象は今も謎。
1944年2-11月 — 紀伊半島方面対潜掃討
尾鷲基地、信濃曳航支援指令
- 2月から尾鷲を基地に紀伊半島方面での対潜掃討・船団護衛。11月29日、被雷した空母「信濃」の曳航・護衛協力の指令を受ける。
1944年12月-1945年5月 — 練習艦・実験艦への変遷
対潜学校練習艦、対潜実験艦改造
- 12月18日、海軍対潜学校練習艦に。1945年2月4日から3月18日、対潜実験艦への改造工事。5月5日、再び横須賀鎮守府練習駆逐艦として配備、第1特攻戦隊の特攻攻撃訓練目標艦に。
1945年8月15日 — 無傷の終戦
横須賀にて終戦、9月15日除籍
- 25年半に及ぶ艦歴を、無傷のまま終える。
1948年4月2日
日本初の軍艦防波堤として小名浜港に沈設
- 浦賀船渠で上部構造物撤去後、小名浜港へ曳航。5時30分沈設作業開始、13時15分注水開始、14時45分船底着座確認、防波堤完成。
- 同年8月25日、「汐風」も近くの一号埠頭に沈設。
1965年10月 — 撤去、そして記念碑へ
250トンのスクラップ、10年の放置を経て
- 魚市場拡張のため防波堤撤去、250トンの鉄材スクラップ発生。一部が市民会館前に一時保管されるも約10年放置され忘れられる。
- 海洋学校調査部の調査を契機に海友会が永久保存に動き、大和田弥一いわき市長がスクラップ無償払い下げと三崎公園用地提供を快諾。
1973年11月3日
高松宮宣仁親王臨席、艦魂碑除幕式
- 福島県海友会会長・吉田真治元海軍大尉の招きにより高松宮宣仁親王が式典に臨席。台座の「艦魂」の文字は親王自らの筆による。
SUMMARY
RECORD
澤風 全艦歴まとめ
澤風は1920年に三菱長崎造船所で竣工した峯風型駆逐艦2番艦。起工から竣工までの全工程を型名艦「峯風」より早く完了させた「第1号艦」であり、峯風型が「澤風型」とも呼ばれる由来となった。竣工前のタービン重大故障を乗り越え、第二駆逐隊の一員として活動する中、択捉島での座礁、長浦港での曳船衝突事故など数々の危機を経験した。太平洋戦争では練習艦・対潜掃討艦として活動し、被雷した特設水上機母艦「相良丸」の曳航や、正体不明の敵潜水艦を巡る謎の対潜掃討戦にも関わった。1945年、横須賀で無傷のまま終戦を迎え、25年半に及ぶ艦歴に幕を閉じる。戦後は日本で初めて軍艦を利用した沈船防波堤として小名浜港に沈設され、地域の漁業を28年近く支えた。1965年の撤去後、そのタービンは1973年、高松宮宣仁親王臨席のもと永久保存記念碑として除幕された。
峯風型「第1号艦」——竣工が型名艦より早かったという事実だけで、峯風型全体が「澤風型」と呼ばれるほどの存在感を持つ艦だった。
戦闘艦から防波堤へ、そして記念碑へ——日本初の軍艦防波堤という役割を終えた後も、澤風の記憶は地域住民と元乗組員の手によって守られ続け、皇族臨席の式典にまで結実した。
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■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)横須賀鎮守府戦時日誌・第十一水雷戦隊戦時日誌・第三海上護衛隊戦時日誌・伊勢防備隊戦時日誌戦闘詳報
- ・『丸スペシャル』第51号 日本の駆逐艦II、潮書房、1981年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・西日本重工業長崎造船所庶務課『三菱長崎造船所史 第1巻』
- ・大井篤『海上護衛戦』学習研究社(学研M文庫)、2001年
- ・『写真日本の軍艦 第4巻 空母II』光人社、1989年
- ・いわき民報 昭和40年10月7日・昭和48年11月5日各号
- ・『小名浜沿岸域形成史』小名浜沿岸域研究会、1983年
- ・いわき市史編さん委員会『いわき市史 第4巻 近代』1994年
- ・Wikipedia「沢風 (駆逐艦)」「峯風型駆逐艦」「さわかぜ (護衛艦)」
- → 【諸元と全戦歴】汐風——竣工から小名浜港に眠るまで