1944年(昭和19年)10月26日午前10時30分——パナイ島西方海域。 レイテ島オルモックへの陸兵揚陸を終えて帰途につく「浦波」と「鬼怒」の上空に、米空母機の大編隊が現れた。 前日の空襲で重油タンクが破損し応急修理したばかりの「浦波」に、爆弾が次々と命中した。艦長戦死。航海長が指揮を引き継いだが11時30分には軍艦旗降下・総員退去、11時52分、浦波は沈んだ。
駆逐艦「浦波(うらなみ)」は、吹雪型駆逐艦10番艦にして「特型改Ⅰ型」の唯一の艦である。 1927年(昭和2年)4月28日、佐世保海軍工廠で起工。缶室給気路の改正などはⅡ型に準じながら、ジュネーブ海軍軍縮会議の緊迫した交渉のために竣工を急ぐ必要があり、B型砲(仰角75°)が間に合わずA型砲(仰角40°)を搭載した——特型24隻の中で唯一の「過渡期形態」として1929年(昭和4年)6月30日に完成した。 初代艦長は後にサボ島沖海戦で旗艦「青葉」の艦橋で戦死した五藤存知中佐である。
この記事には、特型の「過渡期」という出自から始まる三つの際立った場面がある——南方作戦・バタビア沖・第三次ソロモン海戦で「綾波」乗員を救助した1942年の壮絶な夜。座礁・被弾・修理を繰り返しながら1944年まで戦い続けた驚異的な粘り強さ。そして特型の中で最も長く生き続けた艦として、レイテ島への最後の輸送任務を果たした後、パナイ島沖に散った最期。 特型改Ⅰ型・浦波の全記録を、今ここに語り起こす。
浦波は本来、対空射撃が可能なB型砲(仰角75°)を主砲とする「特型Ⅱ型」として完成するはずだった。しかし1927年当時、ジュネーブ海軍軍縮会議の交渉が緊迫した局面を迎えていた。帝国海軍は竣工を急ぎ、間に合わないB型砲の代わりにⅠ型と同じA型砲(仰角40°)を搭載して就役させた——これが「改Ⅰ型」と呼ばれる所以である。
日本海軍の法令上は「吹雪型」として分類されるが、実態は「缶室給気路などの機関部はⅡ型に準じており、艦橋構造物はⅠ型、主砲はA型砲」という特型24隻で唯一の混合形態だった。 この出自が、後の太平洋戦争において浦波を不利な立場に置くことになる——対空戦闘で威力を発揮するB型砲(75°)を持たないまま、制空権を失った1944年のフィリピン海域で戦い続けなければならなかったからだ。
| 比較項目 | 特型Ⅰ型(吹雪型) | 浦波(改Ⅰ型)★ | 特型Ⅱ型(綾波型) |
|---|---|---|---|
| 主砲型式 | A型(仰角40°) | A型(仰角40°) | B型改一(仰角75°) |
| 缶室給気路 | Ⅰ型標準 | Ⅱ型方式(改正済み) | Ⅱ型方式 |
| 艦橋構造物 | Ⅰ型標準 | Ⅰ型と同一形状 | 大型化・近代化 |
| 対空射撃能力 | 限定的 | 限定的(Ⅱ型より劣る) | 向上(高角砲対応) |
浦波の初代艦長・五藤存知中佐は後にサボ島沖海戦時の第六戦隊司令官(少将)となり、旗艦「青葉」の艦橋で戦死した。皮肉なことに、浦波の2代目艦長・江戸兵太郎もその後ビスマルク海海戦後に第三水雷戦隊司令官(少将)に就任。初代艦長とその後任が相次いで戦死・重職に就いた事実は、浦波という艦に連なる歴史の深さを示している。
1941年12月19日、コタバル沖——「川内」搭載機がオランダ海軍潜水艦「O-20」を発見して爆撃し損傷させた。夜間浮上するとの判断から、浦波が哨戒配置についた。日没後、浦波はO-20を発見して砲撃を開始した。O-20も応射して魚雷2本を発射したが命中しなかった。艦影を見失った後、浦波は爆雷2個を投下した。 翌朝、泳いでいたO-20乗員を発見し、先任将校以下32名を救助。さらに浦波乗員がO-20に乗り込み、機密文書を回収することに成功した。
そして1942年11月14〜15日、第三次ソロモン海戦(第二夜戦)。 同じ第19駆逐隊の「綾波」が単艦で米艦隊6隻に突入し、駆逐艦2隻撃沈・2隻大破という伝説的な戦果を挙げながら大破し漂流した。 「浦波」は現場に向かい、「綾波」の乗員全員を救助した。 作間英邇艦長ら「綾波」生存者が漂流しながら軍歌を歌っていたという逸話はよく知られているが、それを誰が救い上げたかといえば——同隊の「浦波」だった。
第19駆逐隊(磯波・浦波・敷波・綾波)は緒戦から共に戦い続けた。磯波が1943年4月9日に米潜水艦トートグに沈められ、綾波が1942年11月15日に鉄底海峡に消えた後も、浦波は戦い続けた。同隊の「綾波」が傷ついた夜に救いの手を差し伸べたのが「浦波」だったという事実は、水雷戦隊の絆として記録されている。
「浦波」の艦歴で際立つのは、その粘り強さだ。複数回の衝突・座礁・被弾にもかかわらず、修理を繰り返して最前線に戻り続けた。 1935年3月4日:夜間演習中に姉妹艦「吹雪」が操舵不能となり右舷に衝突——呉海軍工廠で修理。 1937年8月19日:商船回避中に「磯波」が左舷三番砲塔付近に追突——横須賀で本格修理(このため予備艦となる時期もあった)。 1942年6月:ミッドウェー作戦帰投中にまた「磯波」に衝突される——磯波の艦首損傷で速力11ノットに低下、川内と共に主隊から落伍するが鳳翔の艦上機に発見されて合流。 1943年4月2日:セレベス島マカッサル南西60浬のデプリン礁に座礁——4月21日に離礁後スラバヤで8月13日まで修理。
こうした受難続きにもかかわらず「浦波」が特型最長生存艦となった背景には、僚艦が次々と沈む中で偶然的な幸運もあった。しかし修理後には必ず最前線に戻り、ビスマルク海海戦・渾作戦・レイテ輸送と消耗していく戦線を支え続けた乗員の練度と意志もある。 1943年9月からは第十六戦隊(重巡足柄・軽巡鬼怒ほか)に編入され、東南アジア海域での護衛・輸送任務に従事。1944年になると第19駆逐隊は浦波1隻となり、10月10日付で第19駆逐隊は解隊された。
1944年10月21日午後6時——第十六戦隊(軽巡「鬼怒」・駆逐艦「浦波」)はブルネイを出撃し、レイテ島への陸兵輸送(多号作戦)に向かった。 しかし出撃翌々日の10月23日午前4時30分、マニラ湾口南西約70浬で旗艦「青葉」が米潜水艦「ブリーム」の雷撃を受けて大破し、「鬼怒」が曳航してマニラへ。左近允少将は旗艦を「鬼怒」に変更した。
10月24日朝、「鬼怒」と「浦波」の2隻でマニラを出撃した直後から断続的な空襲が始まった。「浦波」は戦死傷者31名、重油タンクが破損。セミララ島付近で「鬼怒」が警戒する中、「浦波」は応急修理を実施した。 翌10月25日朝9時30分頃、大型爆撃機の空襲を受けるが被害なし。15時45分にカガヤン(ミンダナオ島)に到着して陸兵を収容し、夕刻出発。
10月26日黎明——「鬼怒」と「浦波」はレイテ島オルモックに到着し、兵員の揚陸に成功した。 午前5時、2隻はオルモック湾を出発してコロン島へ向かう。しかしパナイ島西方で米空母機の空襲を受け始めた。 10時30分以降の猛烈な空襲で「浦波」は次々と被弾し、艦長戦死。航海長が指揮を継いだが11時30分に軍艦旗降下・総員退去。11時52分、浦波は沈んだ。 艦長以下92名戦死。10月24日のマニラ出撃から26日の沈没までで戦死103名・戦傷者91名。生存者のうち35名以上がフィリピンの陸上戦に転用された。 その日の夕方17時20分、「鬼怒」も同じ空襲で沈没した。
ジュネーブ会議の影響でB型砲(仰角75°)が間に合わなかったという事情で生まれた「浦波」は、最後まであのA型砲のまま戦い続けた。1944年のフィリピン海域——制空権を完全に失った海域で、対空射撃能力で劣るA型砲を天に向けて爆発が続く甲板で戦い続けた乗員たちの練度と気概は、装備の不利を超えたものだった。「改Ⅰ型唯一の艦」として特型の最長生存を記録しながら、最後もその対空戦闘の弱点を突かれる形で沈んだことは、皮肉な史実として記録されている。
「浦波」の本質は、兵器開発が国際政治からいかに自由でないかを体現した艦にある。ジュネーブ会議という「外圧」がB型砲の搭載を阻み、改Ⅰ型という唯一無二の形態を生み出した。その決定は1927年のことだったが、その影響は1944年のフィリピンまで引き継がれた。国際条約・外交の結末が17年後の戦場での乗員の生死に繋がる——それが「浦波」という艦の示す縮図である。
しかしその「欠陥」を超えて、浦波は特型の中で最も長く生き続けた。衝突・座礁・被弾を繰り返しながら修理して戦線に戻り、O-20乗員を救助し、「綾波」生存者を救助し、「球磨」生存者を救助した。「护(まもる)」という行為を繰り返しながら生き続けた艦が、最後も輸送任務の帰途に散ったという事実は一貫している。
1944年10月26日——初代艦長・五藤存知が戦死してから2年後の海に、「浦波」は沈んだ。改Ⅰ型として特型24隻の中で最後まで生き残った艦の最期は、帝国海軍水雷戦隊の歴史の締め括りとして、静かにパナイ島西方の海底に刻まれている。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第24巻 比島・マレー方面 海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年
- ・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第83巻 南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収まで』朝雲新聞社
- ・重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報各号
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年(ISBN 4-7698-1246-9)
- ・Wikipedia「浦波(吹雪型駆逐艦)」「第三次ソロモン海戦」「多号作戦」「ビスマルク海海戦」「渾作戦」
- ・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
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