峯風型 · 10番艦 · 第三航空戦隊
YUKAZE 夕風
鳳翔の影として戦い、空母を曳いて終戦を迎えた駆逐艦
三菱長崎造船所が建造した峯風型駆逐艦10番艦。儀礼と二・二六事件の現場に立ち、第三航空戦隊で軽空母「鳳翔」の随伴艦として開戦とミッドウェー作戦に出撃。1945年7月24日には触雷した空母「海鷹」を曳航し、終戦後は復員輸送を経て賠償艦としてシンガポールで解体された艦の諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
峯風型 10番艦
DISPLACEMENT
1,215 t(竣工時)
MAX SPEED
39.0 kt(計画)
MAIN GUN
12cm単装(竣工時4門)
TORPEDO
53.3cm連装(魚雷8本)
FATE
終戦まで生存・賠償艦として解体
| 艦名 | 夕風(ゆうかぜ) |
| 艦型・番艦 | 峯風型駆逐艦 10番艦 |
| 建造所 | 三菱長崎造船所 |
| 起工 | 1920年(大正9年)12月14日 |
| 進水 | 1921年(大正10年)5月28日 |
| 竣工日 | 1921年(大正10年)8月24日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 籍 | 横須賀鎮守府籍 |
| 全長 | 102.6m |
| 基準排水量 | 1,215t(竣工時)/公試1,345t |
| 出力 | 38,500馬力 |
| 速力 | 39.0ノット(計画) |
| 主砲 | 12cm単装砲(竣工時4門) |
| 魚雷発射管 | 53.3cm連装発射管、魚雷8本搭載 |
| 対潜装備(資料記載) | 爆雷投射機2基、爆雷36個、九三式水中聴音機1基、九三式探信儀1基 |
| 初代艦長 | 土田数雄(1921年6月〜12月) |
| 戦時中の艦長(資料記載) | 梶本顗(1941年8月〜1942年6月頃)→石戸勇(1942年6月〜)→山崎仁太郎(1943年8月〜)→橋口百治(1943年10月〜)→田久保龍雄(1945年3月〜) |
| 最後の艦長 | 田口康生(1947年7月、シンガポール回航時) |
| 所属部隊 | 第3駆逐隊(第二艦隊)→第2駆逐隊→第3駆逐隊→第34駆逐隊→第三航空戦隊→第一艦隊付属→第三艦隊付属→第五十航空戦隊→第五十一航空戦隊→連合艦隊付属 |
| 特記事項 | 1928年、浦賀水道で島風(初代)と衝突。1936年、二・二六事件で海軍陸戦隊を輸送。開戦時は第三航空戦隊(鳳翔・瑞鳳・三日月)の一員として主力部隊とともに出撃。ミッドウェー作戦では空母隊として護衛 |
| 終戦時 | 別府湾にあり、無傷で残存。1945年7月24日には空襲を回避し、触雷した空母「海鷹」を曳航 |
| 戦後 | 1945年10月除籍。12月に特別輸送艦に指定され、博多〜釜山・上海・葫芦島の復員輸送19回(軍人約2,000名・邦人約6,300名、計約8,300名)。1947年7月賠償艦に指定、8月シンガポール(セレター軍港)で解体 |
TIMELINE
HISTORY
夕風 全戦歴タイムライン
1920年12月14日 — 起工
三菱長崎造船所で起工
- 1921年5月28日に進水。
1921年8月24日 — 竣工
横須賀鎮守府籍に編入
- 12月1日、第3駆逐隊(第二艦隊)に所属。
1923-24年 — 駆逐隊の編成替え
第2駆逐隊→第3駆逐隊
- 1923年12月1日、第2駆逐隊へ。1924年12月1日、再び第3駆逐隊へ。
1925年4月16日 — 米国大使を送達
バンクロフト駐日米国大使
- 横浜から下田まで大使を乗せて送達。
1928年10月11日 — 島風(初代)と衝突
浦賀水道・夜間訓練中
- 東京湾の浦賀水道で僚艦島風(初代)と衝突。島風に大破口が生じ、夕風は艦首に軽微な損傷。
1929年5月2日 — グロスター公来日
横浜沖で出迎え
- 英国王族グロスター公ヘンリーの来日に際し、横浜沖で出迎えにあたる。
1936年2月26日 — 二・二六事件
海軍陸戦隊を輸送
- 海軍陸戦隊を横須賀から芝浦へ輸送。
1937-38年 — 日中戦争、警備任務
華中沿岸作戦、南洋・樺太警備
- 華中沿岸作戦に従事。南洋諸島、樺太沿岸の警備も担当。
- 1937年8月19日に第3駆逐隊から一時外れ、9月1日復帰、11月19日再び除かれる。1938年12月15日、第3駆逐隊解隊。
1940年11月15日 — 第34駆逐隊
第三航空戦隊を構成
- 第34駆逐隊に編入、第三航空戦隊を構成。1941年4月10日、駆逐隊から除かれ第三航空戦隊所属の単艦となる。
1941年3月 — 座礁
台湾海峡東方
- 台湾海峡の東方で座礁、満潮で離礁。
1941年12月8日 — 開戦
主力部隊とともに出撃
- 第三航空戦隊(鳳翔・瑞鳳・三日月)の一員として、山本五十六直率の主力部隊と出撃。南雲機動部隊の支援・掩護が目的だったが、ハワイ作戦成功後、小笠原近海で反転。
1942年3月12日 — 東京空襲警戒
鳳翔と小笠原へ
- 東京空襲警戒のため鳳翔と小笠原諸島へ出撃。会敵せず父島に寄港、帰投途中に台風に遭遇。
1942年6月 — ミッドウェー作戦
空母隊として護衛
- 主力部隊の護衛とタンカーの護衛を担当。海戦には参加せず、6月14日に桂島泊地着。
1942年4月-7月 — 所属変更
第一艦隊付属→第三艦隊付属
- 4月1日、第三航空戦隊解隊で第一艦隊付属。7月14日、第三艦隊付属。
1942年7月〜 — 鳳翔随伴、内海で訓練支援
対潜哨戒・着艦支援・目標艦・魚雷回収
- 鳳翔の随伴艦として対潜哨戒、着艦訓練の支援、雷爆撃訓練の目標艦、訓練魚雷の回収に従事。
- 1943年以降は警戒、採収、曳的、目標艦と任務が拡大。司令部は駆逐艦の増配を求めたが実現せず。
1943年1月15日〜1944年2月 — 航空戦隊の所属
第五十航空戦隊→第五十一航空戦隊→連合艦隊付属
- 1943年1月15日、第五十航空戦隊所属。1944年1月1日、第五十一航空戦隊所属。2月2日、連合艦隊付属。
1945年春 — 別府方面へ
特攻兵器の標的艦訓練
- 別府方面へ移動し、空母「海鷹」とともに特攻兵器の標的艦訓練に従事。
1945年7月24日
空襲を回避、触雷した海鷹を曳航
- 昼、米海軍機動部隊の艦載機の空襲を回避。夕刻、別府湾を出た空母「海鷹」が磁気機雷に触れて舵・機関を損傷、航行不能。
- 夕風が海鷹を曳航し、翌朝別府近郊の日出海岸に座洲させた。※曳航地点は資料により「別府湾」「佐田岬沖」と異なる。
1945年8月 — 終戦
夜間のみ活動、無傷で終戦
- 空襲を避けて夜間のみ活動。終戦時は別府湾にあり、無傷で残存。呉へ回航。
1945年10-12月 — 除籍、特別輸送艦へ
復員輸送
- 10月、除籍。12月、特別輸送艦に指定。博多〜釜山、博多〜上海、博多〜葫芦島で復員輸送19回。
- 1946年1月、人員輸送用デッキハウスを3か所に設置。
1947年7-8月 — 賠償艦
シンガポールへ回航、解体
- 横須賀・長浦に繋船のち、7月に賠償艦に指定。佐世保から英国領シンガポールへ回航され、8月15日にセレター軍港着(14日とする資料もある)。
- 現地で解体され、艦歴を閉じた。
SUMMARY
RECORD
夕風 全艦歴まとめ
夕風は1921年に三菱長崎造船所で竣工した峯風型駆逐艦10番艦。平時には米国大使やグロスター公を送迎し、1928年に島風と衝突、1936年の二・二六事件で陸戦隊を輸送した。1940年に第34駆逐隊、のち第三航空戦隊へ編入され、軽空母「鳳翔」の随伴艦となる。開戦時は主力部隊とともに出撃し、ミッドウェー作戦でも空母隊として護衛した。1942年7月以降は内海で対潜哨戒、着艦訓練支援、目標艦などを務め、1945年春には別府方面で海鷹とともに特攻兵器の標的艦訓練に従事。7月24日、空襲を回避したのち、触雷した海鷹を曳航した。無傷で終戦を迎え、1945年10月に除籍。特別輸送艦として復員輸送19回で約8,300名を運び、1947年に賠償艦としてシンガポールへ回航され、現地で解体された。
空母の影で生き残った艦——主役の艦が次々と沈む戦争のなかで、訓練と護衛の裏方を務めた夕風は、終戦まで生き残った。
空母を曳いた夜——1945年7月24日、空襲下で触雷した海鷹を曳航した。旧式駆逐艦の艦歴で最も劇的な場面である。
RELATED
ARTICLES
関連記事
■ 参考文献・資料
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻・第9巻、第一法規出版、1995年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)海軍辞令公報(部内限)各号
- ・Wikipedia「夕風 (駆逐艦)」「海鷹 (空母)」「鳳翔 (空母)」「峯風型駆逐艦」、English Wikipedia “Japanese destroyer Yūkaze”「Japanese aircraft carrier Kaiyō」