吹雪型 · 23番艦(特III型・暁型3番艦) · 第6駆逐隊
IKAZUCHI 駆逐艦 雷
敵兵422名を救った武士道の艦
1932年竣工、吹雪型(特型)駆逐艦23番艦。「暁」「響」「電」と特III型(暁型)・第6駆逐隊を編制。スラバヤ沖海戦の翌朝、艦長・工藤俊作少佐の指示で英米兵422名を救助した。1944年4月、米潜水艦ハーダーの精密な雷撃を受け、わずか4分で沈没した。
SPECIFICATIONS
諸元データ
竣工時兵装基準・サマリー
艦型
吹雪型23番艦
建造所
浦賀船渠
基準排水量
1,680t
最大速力
34.0kt
主砲
12.7cm連装砲×3基6門
魚雷兵装
61cm3連装発射管×3基
9射線
9射線
| 艦名 | 雷(いかづち) |
| 艦型・番艦 | 吹雪型(特型)駆逐艦 23番艦(特III型・暁型3番艦) |
| 艦名の由来 | 雷型駆逐艦「雷」に続き2隻目 |
| 建造所 | 浦賀船渠 |
| 起工日 | 1930年(昭和5年)3月7日 |
| 進水日 | 1931年(昭和6年)10月22日 |
| 竣工日 | 1932年(昭和7年)8月15日 |
| 除籍日 | 1944年(昭和19年)6月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 全長 | 118.5m |
| 全幅 | 10.36m |
| 機関 | 艦本式タービン2基2軸、新型空気予熱器付きボイラー3基(特III型の技術革新) |
| 速力 | 34.0kt(艦船要目公表値、計画38kt) |
| 航続距離 | 4,500海里/14kt(特I・II型標準値、特III型は燃費改善により実質向上) |
| 乗員 | 約219〜226名(竣工時220名前後) |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm連装砲:3基6門 |
| 魚雷発射管 | 61cm3連装水上発射管:3基(計9射線、魚雷予備含め18本搭載) |
| 機銃 | 13mm連装機銃:2基(1944年1月、25mm連装機銃へ換装工事) |
| 所属駆逐隊履歴 | 第6駆逐隊(暁・雷・電・響、1932年〜)→第十一水雷戦隊編入(1943年4月1日)→内南洋部隊(1943年4月15日以降) |
| 主要艦長履歴 | 佐藤慶蔵中佐(初代、1932年8月〜)/手束五郎少佐/伊集院松治少佐(後に第三水雷戦隊・第一特設船団司令官)/則満宰次中佐/竹内虎四郎少佐/柳川正男中佐/戸村清少佐/折田常雄少佐/工藤俊作少佐(1940年11月1日〜1942年8月12日、敵兵422名救助時の艦長)/前田実穂少佐(1942年8月27日〜)/生永邦雄少佐(1943年10月25日〜1944年4月13日戦死) |
| 特記事項① | 1942年3月2日、スラバヤ沖海戦翌朝、工藤俊作艦長の指示で英駆逐艦エンカウンター・米駆逐艦ポープの生存者422名を電と協力して救助。乗員220名の倍近い数を収容 |
| 特記事項② | 1942年10月25日、ルンガ泊地突入で米曳船セミノール・沿岸哨戒艇YP-284を暁・白露と共に撃沈 |
| 特記事項③ | 1942年11月12日、第三次ソロモン海戦で多数の命中弾(20cm砲弾6発・15cm砲弾8発)を受け大破(戦死19名・重傷57名)するも、全速発揮可能で戦線離脱に成功 |
| 最終結末 | 1944年4月13日18時59分、メレヨン島近海で米潜水艦ハーダーの雷撃を受ける(艦長サミュエル・D・ディーレイ少佐、距離900ヤードで魚雷4本発射、2本命中)。船体は二つ折れとなり約4分で沈没。生永邦雄艦長以下238名全員戦死 |
■ 吹雪型(特型)駆逐艦・特III型(暁型)について
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。雷は暁・響・電と共に、空気予熱器付きの新型ボイラーを採用し缶数を4基から3基に減らしながら燃費を改善した「特III型」(暁型)の一艦として、浦賀船渠で建造された。
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。雷は暁・響・電と共に、空気予熱器付きの新型ボイラーを採用し缶数を4基から3基に減らしながら燃費を改善した「特III型」(暁型)の一艦として、浦賀船渠で建造された。
FULL TIMELINE
全戦歴タイムライン
竣工から戦没・除籍まで
1930年3月7日 — 起工
浦賀船渠で起工
- 1931年10月22日進水、1932年8月15日竣工。第6駆逐隊(暁・雷・電・響)編成。
1933年3月4-6日
昭和三陸地震、釜石への救援
- 地震救援のため僚艦「電」と共に釜石へ急行、6日に盛(現・大船渡市)に入る。
1941年2月〜10月
石川島造船所で特定修理
- 九三式探信儀と九一式方位盤を装備。13mm連装機銃の25mm連装機銃への換装も計画されたが供給問題で実施されず。
1941年12月4日 — 香港攻略戦
第二遣支艦隊指揮下で参加
- 軽巡「五十鈴」、僚艦「電」と共に海上から香港を包囲、英軍哨戒艇を砲撃・撃沈。
1942年1月9日〜2月17日
メナド攻略戦、潜水艦攻撃
- 第二水雷戦隊(田中頼三少将)に加勢しメナド攻略戦に参加。2月17日夜、マヌイ島北東で潜水艦から魚雷4本発射されるが回避、爆雷22発投下し重油浮上を確認(米潜シャークと推定)。
1942年3月1日 — スラバヤ沖海戦
英重巡エクセター等を撃沈
- 重巡「足柄」「妙高」「那智」「羽黒」、駆逐艦「山風」「江風」と共に、英重巡エクセター、英駆逐艦エンカウンター、米駆逐艦ポープを撃沈。
1942年3月2日
英米兵422名を救助
- 艦長工藤俊作少佐の指示により、電と協力して撃沈したエンカウンター・ポープの生存者422名を救助。
- 「救助活動中」の国際信号旗を掲げ機関停止、乗員170名総出で3時間の救助活動。乗員220名の倍近い人数を収容。
- 油で汚れた体を清め、食料・衣類を提供。工藤艦長は英語で士官たちに敬意を表す演説。翌日オランダ病院船「オプテンノール」に引き渡し。
1942年3月17日
米潜水艦パーミットを発見・攻撃
- ルソン島南方タヤバス湾で暁・響と共に米潜水艦パーミットを発見、2日間攻撃。司令塔に損傷を与えるが撃沈には至らず。
1942年5月20日〜7月 — AL作戦
アッツ・キスカ占領作戦支援
- 北方部隊編入。重巡「那智」、駆逐艦「電」と共に主隊としてAL作戦(西部アリューシャン攻略作戦)に参加。アッツ島・キスカ島の占領を支援。
- 7月16日、キスカ輸送任務中の「球磨川丸」座礁。緊急物資を移載しキスカへ向かい7月22日到着。
1942年7月28日〜8月8日
霞の曳航、銚子近海で座礁
- 米潜水艦攻撃で大破した駆逐艦「霞」を、曳航索を推進器に巻き込む事故にも遭いながら逆引きで曳航しキスカ出港。8月3日幌筵島片岡湾到着、電に曳航引き継ぎ。
- 8月8日夜、見張員の誤認で銚子近海で座礁。軽い浸水も重量物移動で後進をかけ離礁に成功。
1942年8月28日〜10月13日
南方転戦、ガダルカナル輸送開始
- 機動部隊編入。8月29日、第6駆逐隊(暁・雷・電)が大湊から呉へ。9月18日、雲鷹・特設運送船を護衛しトラックへ。9月29日、沖輸送第三船団を護衛しトラックへ。10月13日ラバウル到着。
1942年10月14-25日
陸兵輸送、ルンガ泊地突入
- 10月14日、ヘンダーソン基地艦砲射撃に乗じ軽巡川内・由良と陸兵1,129名をガ島エスペランス岬へ輸送。
- 10月25日朝、雷は暁・白露と隊伍を組んでルンガ泊地突入。掃海駆逐艦ゼインに命中弾。艦隊曳船セミノール、沿岸哨戒艇YP-284を撃沈。暁は反撃で損傷、雷もF4F機銃掃射で損傷も戦闘力に影響なし。
1942年11月2-9日
鼠輸送失敗、挺身攻撃隊出撃
- 11月2日、タサファロンガ沖突入を試みるが波浪高く失敗。11月9日、ガ島ヘンダーソン基地砲撃に向かう挺身攻撃隊としてトラック出撃。
1942年11月12日夜 — 第三次ソロモン海戦
多数の命中弾を受けるが離脱に成功
- 戦艦比叡・霧島の右前方に位置。前方の暁が乱打を受けた直後、雷も20cm砲弾6発・15cm砲弾8発を含む多数の命中弾。
- 一番・二番砲塔、機銃台、給弾薬室、前部探照灯、煙突に大損傷。主機械一時停止、三番発射管使用不能。戦死19名・重傷57名。
- 水線下被害なく全速発揮可能、残存発射管から魚雷6本発射後戦線離脱。一時行方不明と判定されながらも11月17日単艦でトラック帰投。比叡護衛・第二夜戦には参加せず。
1942年11月22-27日
横須賀で修理
- 水上機母艦「日進」護衛を兼ねトラック出港、11月27日横須賀到着。艦橋前に13mm連装機銃1基増備、被弾砲塔は駆逐艦「初春」のものを流用。
1942年12月15日
暁除籍、第6駆逐隊3隻に
- 暁が除籍され第6駆逐隊は雷・電・響の3隻となる。
1943年3月27日 — アッツ島沖海戦
主砲13発のみの参加
- 2度目のアッツ島輸送作戦で那智・羽黒等と輸送船2隻を護衛中、米艦隊と交戦。雷は主砲13発を撃つにとどまる。
1943年3月30日
駆逐艦若葉と接触事故
- 幌筵海峡で嵐の中、抜錨作業中に駆逐艦「若葉」と接触、艦首が圧し潰れる損傷。大湊で応急修理後、4月11日横須賀帰港、4月30日まで修理。
1943年4月1日〜5月20日
第十一水雷戦隊編入、船団護衛
- 4月1日、新編第十一水雷戦隊(木村進少将)編入。4月15日以降、内南洋部隊で日本本土〜トラック間船団護衛。5月、特設巡洋艦盤谷丸・給糧艦間宮を護衛。
- 5月20日、ジャルート環礁付近で米潜水艦ポラックが盤谷丸を雷撃・沈没させる中、雷は爆雷で反撃しポラックに損傷を与えるが取り逃がす。
1943年6月〜1944年1月
1年近くの船団護衛任務
- 1944年1月6-13日、横須賀で水中聴音儀・電波探知機装備、13mm連装機銃を25mm連装機銃へ換装工事。二番砲塔撤去は実施されず。
- 1月25日館山出撃、特設巡洋艦赤城丸・特設運送船愛国丸・靖国丸を護衛しトラックへ。1月31日、靖国丸が米潜トリガーの雷撃で沈没、2月1日トラック到着。
1944年3月22-30日 — 松輸送
サイパン島への輸送成功
- 伊集院松治少将(第一特設船団司令官)指揮下、軽巡夕張・駆逐艦玉波等と共に東京湾出撃。3月30日、損害なくサイパン島到着。
1944年4月13日 18時59分 — 戦没
米潜水艦ハーダーの雷撃、4分で沈没
- 特設運送船「山陽丸」を護衛しメレヨン島からサイパンへ向かう途中、直衛機の潜水艦発見報告を受け制圧に向かう。
- 米潜水艦「ハーダー」(艦長サミュエル・D・ディーレイ少佐)は日本機に発見され潜航するも、潜望鏡深度で雷のマストを発見。「雷あるいは響クラス」と正確に識別、ジグザグ航行する雷とほぼ垂直の好位置に接近。
- 距離900ヤードで魚雷4本発射、2本命中。雷は黒煙・火災に包まれ30度傾斜、船体は二つ折れとなり、脱出を図る乗員を巻き込みつつ約4分で沈没。
- 生永邦雄艦長以下238名全員戦死。沈没位置は北緯10度13分・東経143度31分(米側記録)。
1944年6月10日 — 除籍
艦艇類別等級表から削除、第6駆逐隊解隊
- 初雪型駆逐艦3隻(天霧・雷・電)が艦艇類別等級表から削除。構成艦3隻(雷・電・暁)を喪失した第6駆逐隊も同日解隊。雷・電・秋雲・天霧の4隻が帝国駆逐艦籍から除籍。
SUMMARY
まとめ
敵兵422名を救った武士道、4分間の最期
吹雪型23番艦・雷は、スラバヤ沖海戦翌朝、工藤俊作艦長の指示で敵兵422名を救助した艦として、戦後何十年も語られ続けることになった。自艦乗員の倍近い数の敵兵を、危険を冒してまで救い、丁重に処遇したこの行為は、救助された英国海軍少尉サミュエル・フォールによって半世紀以上記憶され続けた。
雷自身も、第三次ソロモン海戦で多数の命中弾を受けながら生き延び、座礁や衝突事故をも乗り越えてきた。しかし1944年4月、米潜水艦ハーダーの精密な観測と魚雷4本によって、雷は船体が二つ折れとなり、わずか4分で沈没した。生永邦雄艦長以下238名全員が戦死している。
雷が残したものは、撃沈数ではなく、敵兵422名を救ったという事実、そしてその恩を忘れなかった一人の英国人の記憶である。
雷自身も、第三次ソロモン海戦で多数の命中弾を受けながら生き延び、座礁や衝突事故をも乗り越えてきた。しかし1944年4月、米潜水艦ハーダーの精密な観測と魚雷4本によって、雷は船体が二つ折れとなり、わずか4分で沈没した。生永邦雄艦長以下238名全員が戦死している。
雷が残したものは、撃沈数ではなく、敵兵422名を救ったという事実、そしてその恩を忘れなかった一人の英国人の記憶である。
▼ 関連記事
■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書29『北東方面海軍作戦』朝雲新聞社
- ・橋本衛『奇蹟の海から 特型駆逐艦水兵物語』光人社、1984年
- ・橋本衛『特型駆逐艦「雷」海戦記 一砲術員の見た戦場の実相』光人社NF文庫
- ・惠隆之介『敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』草思社、2006年
- ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- ・落合康夫「特型駆逐艦行動年表」『写真 日本の軍艦10 駆逐艦I』光人社、1990年
- ・田村俊夫『歴史群像 太平洋戦史シリーズ70 完全版 特型駆逐艦』学習研究社、2010年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報
- ・Wikipedia「雷 (吹雪型駆逐艦)」「工藤俊作 (海軍軍人)」