1944年2月10日、台湾沖。門司港からモタ02船団を護衛して高雄へ向かっていた駆逐艦「峯風」は、米潜水艦「ポーギー」の雷撃を受け沈没した。竣工から24年——日本海軍が初めて「日本オリジナル」の設計思想で作り上げた駆逐艦、峯風型の型名艦は、その艦型を代表する形で、輸送船団護衛という地味な任務の最中に、静かに戦争を終えた。
「峯風」は、舞鶴海軍工廠で1918年(大正7年)4月20日に起工、1919年2月8日に進水、1920年5月29日に竣工した。ワシントン海軍軍縮条約以前、日本海軍がまだ大規模な艦隊拡張を志向していた時代に生まれたこの艦は、竣工から太平洋戦争終盤の戦没まで、実に24年という長い艦齢を刻んだ。派手な海戦の記録は少ないが、その艦歴は、日本海軍の駆逐艦が歩んだ長い道のりそのものを体現している。
第一次上海事変、日中戦争における沿岸諸作戦、紀元二千六百年特別観艦式への参加——「峯風」は戦間期から太平洋戦争にかけて、日本海軍の歴史の様々な場面に立ち会い続けた。そして最後は、佐世保近海警備からトラック島方面への船団護衛へ、さらに東シナ海・台湾方面の輸送船団護衛へと、地道な任務を積み重ねた末の戦没だった。
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竣工した「峯風」は横須賀鎮守府に所属し、1920年12月、同型艦「澤風」「矢風」「沖風」とともに第二駆逐隊を編成、第二艦隊第二水雷戦隊に編入された。この編成は、峯風型が竣工直後から日本海軍の主力水雷戦隊の一員として、正規の艦隊行動に組み込まれていたことを示している。1932年の第一次上海事変では長江水域の諸作戦に参加し、1937年から1939年にかけては日中戦争における華北・華中沿岸での作戦に従事した。
1940年10月11日、「峯風」は横浜港沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式に参加している。皇紀2600年を祝うこの盛大な観艦式に、竣工から20年を経た旧式艦がなお参列していたという事実は、この艦が日本海軍にとって、単なる旧式艦以上の存在であり続けたことを物語っている。1941年9月、鎮海警備府に編入され対馬海峡方面で哨戒活動に従事、太平洋戦争開戦後は佐世保防備戦隊に編入され、佐世保近海の哨戒とサイパン・トラック・ラバウルへの船団護衛任務についていく。
「峯風」の艦歴で特筆すべきは、竣工から24年という長い艦齢の間に、実に20名を超える艦長が入れ替わり指揮を執ったという事実である。1919年の艤装員長・木田新平少佐から、1944年2月10日の戦没時艦長・今泉正次郎大尉まで、それぞれの時代の艦長たちが、この1隻の艦を通じて日本海軍の変遷を見届けてきた。1930年から1932年にかけて艦長を務めた河西虎三少佐は、1931年11月からは同型艦「澤風」の艦長も兼任しており、峯風型という艦型全体の運用を1人の艦長が横断的に見ていた時代もあった。
最後の艦長・今泉正次郎大尉は、1943年12月1日に着任し、わずか2ヶ月余りでこの艦を失うことになる。竣工時から数えて実に24代目に近い艦長として、旧式艦となった「峯風」を率い、東シナ海・台湾方面での輸送船団護衛という、決して華々しくはないが不可欠な任務を担い続けた。長い艦歴を持つ艦だからこそ、そこには多くの人々の指揮と献身が積み重なっている。
「峯風」の艦歴には、大きな海戦での劇的な戦果は記録されていない。だが佐世保近海の警備からトラック島・ラバウルへの船団護衛、そして最後の台湾沖護衛任務まで、この艦は一貫して「輸送を守る」という地道な任務を担い続けた。派手さはなくとも、これもまた駆逐艦という艦種が果たすべき、本質的な役割の1つだった。
1944年2月1日、「峯風」は第一海上護衛隊に編入された。太平洋戦争後半、日本の輸送船団は米潜水艦の脅威にさらされ続けており、この編入は、旧式駆逐艦であっても護衛戦力として最大限活用しようとする、当時の海軍の切迫した状況を物語っている。2月5日、「峯風」は門司港を出港し、高雄までモタ02船団の護衛任務についた。
だが2月10日、台湾沖北緯23度00分・東経157度27分の海域で、米潜水艦「ポーギー」が発射した魚雷が「峯風」を捉えた。竣工から24年、幾多の任務を積み重ねてきた艦は、輸送船団を守るという最後の任務の最中に、静かに海へ沈んでいった。1944年3月31日、「峯風」は帝国駆逐艦籍から除籍された。峯風型という艦型全体の名を背負った1番艦の最期は、けっして劇的なものではなかったが、それゆえにこそ、太平洋戦争後半における輸送船団護衛の厳しい現実を、静かに物語っている。
「峯風」の本質は、日本海軍が初めて自らの設計思想で作り上げた駆逐艦の型名艦として、竣工から24年という長い艦齢を、地道な任務の積み重ねで生き抜いたという一点にある。第一次上海事変、日中戦争、紀元二千六百年特別観艦式——「峯風」は日本海軍の戦間期から太平洋戦争にかけての歴史の様々な場面に立ち会い続けたが、その多くは輸送船団護衛や哨戒監視という、表舞台には出ない任務だった。
それでもこの艦が果たした役割は、決して小さくなかった。20名を超える艦長たちが代々受け継ぎながら守り続けた任務は、太平洋戦争後半、米潜水艦の脅威が増す中でますます重要性を増していく。最終的に「峯風」は、その任務の最中に失われた。派手な戦果を持たない艦だからこそ、私たちに戦争の地道な実務——輸送を守り続けるという、静かだが不可欠な使命——を教えてくれる。猫工艦は、峯風型の型名艦としてその名を刻んだ「峯風」と、その艦を守り続けた全ての乗組員に、深い敬意を表したい。
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■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)海上護衛総司令部戦時日誌・海軍辞令公報(部内限)各号
- ・『丸スペシャル』第51号 日本の駆逐艦II、潮書房、1981年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年
- ・『紀元二千六百年祝典記録・第六冊』
- ・Wikipedia「峯風 (駆逐艦)」「峯風型駆逐艦」
- → 澤風——峯風型「第1号艦」、日本初の軍艦防波堤となった同型艦