吹雪型 · 8番艦(雲級4番艦) · 第12駆逐隊→第20駆逐隊
SHIRAKUMO 駆逐艦 白雲
記録の影で戦い続けた艦
1928年竣工、吹雪型(特型)駆逐艦8番艦。「叢雲」「東雲」「薄雲」と雲級・第12駆逐隊を編制。バタビア沖海戦、ガダルカナル輸送と前線で戦い続けたが、その艦歴は「白雪」との記録上の混同にも度々付きまとわれた。1944年3月、北海道釧路沖で米潜水艦の雷撃を受け戦没した。
SPECIFICATIONS
諸元データ
竣工時兵装基準・サマリー
艦型
吹雪型8番艦
建造所
藤永田造船所
基準排水量
1,700t
最大速力
34.0kt
主砲
12.7cm連装砲×3基6門
魚雷兵装
61cm3連装発射管×3基
9射線
9射線
| 艦名 | 白雲(しらくも) |
| 艦型・番艦 | 吹雪型(特型)駆逐艦 8番艦(雲級4番艦) |
| 艦名の由来 | 白雲型駆逐艦(初代)「白雲」に続き2隻目 |
| 仮称艦名 | 第四十二号駆逐艦 |
| 建造所 | 藤永田造船所 |
| 起工日 | 1926年(大正15年)10月27日 |
| 進水日 | 1927年(昭和2年)12月27日 |
| 竣工日 | 1928年(昭和3年)7月28日(改称8月1日) |
| 除籍日 | 1944年(昭和19年)3月31日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 全長 | 118.5m |
| 全幅 | 10.36m |
| 機関 | 艦本式タービン2基(純国産) |
| 速力 | 34.0kt(計画38.0kt) |
| 航続距離 | 9,260km(14kt巡航時) |
| 乗員 | 219名 |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cmA型連装砲:3基6門(全周囲シールド付、荒天時対応) |
| 魚雷発射管 | 一二年式61cm3連装水上発射管:3基(計9射線) |
| 搭載魚雷 | 竣工時:九〇式魚雷(1935年頃更新)→1943年、九三式魚雷(酸素魚雷)へ更新 |
| 対空機銃(戦時最終) | 九二式7.7mm機銃:2挺 |
| 所属駆逐隊履歴 | 第12駆逐隊(東雲・薄雲・白雲、1928年)→定数4隻(叢雲編入、1929年)→第20駆逐隊(狭霧の欠員補充、1942年3月10日)→第11駆逐隊修理中→第9駆逐隊(霞・薄雲・朝雲、1943年4月1日) |
| 主要艦長履歴 | 安武史郎少佐/小川延喜中佐(12駆最後の司令、白雲に隊旗)/人見豊治中佐(開戦時艦長、後に巻波艤装員長・駆逐艦長としてセント・ジョージ岬沖海戦で戦死)/平山敏夫少佐(1942年11月15日〜、大波艤装員長兼務、1944年1月22日転出)/橋本正雄少佐(1944年1月22日〜3月16日戦死、元砲艦「隅田」艦長) |
| 特記事項① | 1935年9月、第四艦隊事件で魚雷格納庫を損傷、船体に歪み発生 |
| 特記事項② | 1942年3月1日、バタビア沖海戦で叢雲と共に蘭駆逐艦エヴェルトセンを発見 |
| 特記事項③ | 1942年8月28日、ガダルカナル輸送中の空襲で機関室浸水、航行不能。同空襲で姉妹艦朝霧が轟沈 |
| 特記事項④ | 「白雲」と「白雪」は字体が似ているため、1941年6月21日付の海軍公報で「今後白雲宛ての文書はシラクモとフリガナを付けてください」と周知された。戦史叢書83巻のサボ島沖海戦参加記録も、実際には「白雪」の行動が「白雲」と誤記されたものとされる |
| 最終結末 | 1944年3月16日、第9駆逐隊として陸軍輸送船4隻を護衛中、釧路沖(資料によっては襟裳岬沖)の太平洋で米潜水艦「トートグ」の雷撃を受け沈没。全乗組員が戦死した |
■ 吹雪型(特型)駆逐艦・雲級について
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。白雲は「叢雲」「東雲」「薄雲」と共に、艦名に「雲」を含む4隻——通称「雲級」を構成した。藤永田造船所で建造された吹雪型としては最初の建造艦である。
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。白雲は「叢雲」「東雲」「薄雲」と共に、艦名に「雲」を含む4隻——通称「雲級」を構成した。藤永田造船所で建造された吹雪型としては最初の建造艦である。
FULL TIMELINE
全戦歴タイムライン
竣工から戦没まで
1926年10月27日 — 起工
藤永田造船所で起工、第四十二号駆逐艦と命名
- 1928年7月28日竣工、8月1日「白雲」と改称。「叢雲」「東雲」「薄雲」と第12駆逐隊を編制。
1937年〜1940年 — 日中戦争
北部仏印進駐などに参加
- 第12駆逐隊として日中戦争・仏印進駐の各作戦に従事。
1935年9月26日 — 第四艦隊事件
魚雷格納庫の損傷
- 三陸沖演習中の台風で多くの艦船が被害を受ける中、白雲も魚雷格納庫を軽度に損傷し、船体に歪みが発生。
1941年12月8日 — 太平洋戦争開戦
マレー作戦に参加
- 第三水雷戦隊麾下の第12駆逐隊として、機雷で損傷していた「薄雲」を除く3隻(叢雲・東雲・白雲)でマレー作戦に従事。
1941年12月17日
姉妹艦東雲、ボルネオ・ミリで戦没(推定)
- ボルネオ・ミリ攻略中、東雲が飛行艇の爆撃を受けて沈没したと伝えられている。
1942年3月1日 — バタビア沖海戦
蘭駆逐艦エヴェルトセンを発見
- 重巡「最上」「三隈」が米重巡ヒューストン・濠軽巡パースの撃沈に成功する混戦の中、白雲・叢雲は護衛準備が整わず後から追いかける形になっていた蘭駆逐艦「エヴェルトセン」を発見。
- エヴェルトセンはスラバヤ沖海戦から離脱した艦で、バタビアでの出撃準備が間に合わず2隻に同行できなかった。
1942年3月10日
第12駆逐隊解隊、第20駆逐隊編入
- 東雲喪失で2隻編制になっていた第12駆逐隊が解隊。白雲は第20駆逐隊(朝霧・夕霧・天霧)に編入。
1942年4月〜7月
ベンガル湾機動作戦、ミッドウェー作戦、B作戦
- 第20駆逐隊としてベンガル湾機動作戦、ミッドウェー作戦に従事。7月中旬以降、インド洋方面通商破壊作戦「B作戦」に従事するが、8月7日のガダルカナル島の戦い開始で中止。
1942年8月26-28日
ガダルカナル輸送中の空襲、機関室浸水で航行不能
- 第20駆逐隊4隻(天霧・夕霧・朝霧・白雲)が歩兵第124連隊第2大隊600名を分乗させガダルカナル島へ向かう途上、飛行艇に発見され輸送を中断。燃料欠乏回避のため洋上待機、28日に第24駆逐隊との合流を目指す。
- 合流地点を目指す途中で爆撃機の空襲を受ける。「白雲」は至近弾で機関室浸水、航行不能。「夕霧」も複数の至近弾で機関室・艦橋損傷。「朝霧」は2発の直撃弾を受け魚雷誘爆により轟沈。無傷だったのは天霧のみ。
1942年10月1日〜1943年
呉鎮守府警備駆逐艦、修理
- 第20駆逐隊解隊、白雲・夕霧は呉鎮守府警備駆逐艦となり呉鎮守府部隊に編入。修理のため日本へ帰投。
- 10月7日、軽巡「神通」と共に入泊、翌8日に呉軍港到着。白雲の修理は呉海軍工廠・藤永田造船所で実施。当時、藤永田造船所では夕雲型駆逐艦「大波」を建造中だった。
- 11月15日、白雲駆逐艦長・平山敏夫少佐が大波艤装員長を兼務。12月20日、吉川潔中佐(白露型夕立の第三次ソロモン海戦時の駆逐艦長)が大波艤装員長に任命され、平山少佐の兼務は解かれた。
1942年10月11-12日(参考:記録上の混同)
戦史叢書のサボ島沖海戦記録における誤記
1943年3月〜4月1日
修理完了、第9駆逐隊編入
- 修理を終えた白雲は、4月1日付で「薄雲」「朝雲」と共に第9駆逐隊(第五艦隊隷下・第一水雷戦隊)を編成。北方部隊(アリューシャン方面)に配置される。
1943年6月6日深夜
駆逐艦「沼風」と衝突、艦首損傷
- 視界不良の中、米潜水艦を制圧中の「神風」への協同出撃命令を受けて行動していたところ、駆逐艦「沼風」と衝突し艦首部を損傷。大湊・函館で修理。
1943年
修理完了、北方海域での輸送・護衛任務
- 修理を終えた白雲は、千島列島方面を含む北方海域での船団護衛・輸送任務に従事。1944年1月、タンカー「帝洋丸」を護衛して占守島へ進出、流氷の中で若干の浸水被害を受けた。
1944年1月22日
橋本正雄少佐、最後の艦長に着任
- 平山敏夫少佐が秋霜艤装員長として転出し、元砲艦「隅田」艦長の橋本正雄少佐が新たな白雲駆逐艦長に着任。
1944年3月16日 — 戦没
釧路沖で米潜水艦トートグの雷撃により沈没
- 第9駆逐隊として陸軍輸送船4隻を護衛中、釧路沖(資料によっては襟裳岬沖、北緯42度20分・東経144度35分)の太平洋で米潜水艦「トートグ」の雷撃を受ける。
- 魚雷攻撃により白雲は沈没し、橋本正雄艦長以下全乗組員が戦死した。
SUMMARY
まとめ
記録の影で戦い続けた艦の16年
吹雪型8番艦・白雲は、マレー作戦からバタビア沖海戦、ガダルカナル輸送、北方海域での護衛任務まで、前線で戦い続けた艦である。バタビア沖海戦では僚艦と共に蘭駆逐艦エヴェルトセンを発見し、ガダルカナル輸送では姉妹艦朝霧の轟沈を間近で経験しながら、自らは航行不能の状態で生き延びた。
しかし、その存在感は「白雪」という似た名前の艦と度々混同され、戦史叢書という公的な記録の中にまで誤記が残ることになった。最期もまた、太平洋の激しい海戦ではなく、北海道近海での潜水艦による静かな一撃だった。
記録に残る名前の取り違えそのものが、白雲という艦が確かに実在し、戦い続けていたことの証でもある。
しかし、その存在感は「白雪」という似た名前の艦と度々混同され、戦史叢書という公的な記録の中にまで誤記が残ることになった。最期もまた、太平洋の激しい海戦ではなく、北海道近海での潜水艦による静かな一撃だった。
記録に残る名前の取り違えそのものが、白雲という艦が確かに実在し、戦い続けていたことの証でもある。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書83『南東方面海軍作戦(1)』朝雲新聞社、1975年
- ・歴史群像編集部編『水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦』第19巻、学習研究社、1998年
- ・雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集16 駆逐艦 吹雪型[特型]』光人社、1997年
- ・雑誌「丸」編集部『写真 太平洋戦争<第三巻>』光人社、1995年
- ・森史郎『空母瑞鶴戦史[ソロモン攻防篇]』潮書房光人社、2018年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報
- ・Wikipedia「白雲 (吹雪型駆逐艦)」