朝潮型 · 3番艦 · 第8駆逐隊→第24→第4駆逐隊
MICHISHIO 満潮
3つの駆逐隊を渡り歩き、スリガオ海峡に沈んだ「最後の生き残り」
藤永田造船所が建造した朝潮型3番艦。バリ島沖で64名が死亡・大破漂流哨戒を経て、第8駆逐隊唯一の生き残りとなり、3つの駆逐隊を渡り歩いて西村艦隊としてスリガオ海峡に突入——諸元と全戦歴の完全記録。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
朝潮型 3番艦
DISPLACEMENT
1,961 t
MAX SPEED
34.85 kt
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1944.10.25 戦没
| 艦名 | 満潮(みちしお / みちしほ) |
| 艦型・番艦 | 朝潮型駆逐艦 3番艦 |
| 建造所 | 藤永田造船所(大阪) |
| 起工日 | 1935年(昭和10年)12月4日 |
| 進水日 | 1937年(昭和12年)3月15日 |
| 竣工日 | 1937年(昭和12年)10月31日 |
| 除籍日 | 1945年(昭和20年)1月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 全長 | 118.0m |
| 全幅 | 10.386m |
| 吃水 | 3.683m(平均) |
| 基準排水量 | 1,961t |
| 公試排水量 | 2,635t |
| ボイラー | ロ号艦本式重油専焼水管缶 3基 |
| タービン | 艦本式タービン 2基 2軸 |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 速力(公試) | 34.85ノット(大潮の公試値) |
| 航続距離 | 18ノットで5,000海里 |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm C型連装砲 3基6門 |
| 魚雷発射管 | 九二式61cm四連装水上発射管 2基8射線(九三式酸素魚雷搭載) |
| 対空機銃 | 九六式25mm連装機銃 / 九三式13mm機銃(竣工時) |
| 対潜装備 | 九三式水中探信儀(ソナー)/ 爆雷投射機 |
| 乗員 | 約230名(定員) |
| 所属部隊変遷 | 第25駆逐隊 → 第8駆逐隊 → 第24駆逐隊 → 第4駆逐隊(西村艦隊) |
| 初代艤装員長 | 有田貢 中佐(1938年3月病死) |
| 戦没時司令 | 高橋進 駆逐隊司令(戦死) |
| 戦没 | 1944年10月25日午前3時58分 スリガオ海峡 |
| 戦没原因 | 米駆逐艦ハッチンズの魚雷5本が命中(朝雲狙いが満潮に命中) |
| 戦死者 | 高橋進司令含む約230名 |
| 艦名継承 | 海上自衛隊潜水艦「みちしお(初代)」「みちしお(2代目)」 |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没・除籍まで
1937年10月31日 — 竣工
竣工。朝潮・大潮と同日付で第25駆逐隊を編制
- 竣工後まもなく中支方面へ出動(日中戦争)。帰投後に佐世保海軍工廠でタービン機関の改造工事(臨機調事件対応)。初代艤装員長・有田貢中佐は1938年3月20日に病死した。1938年1月、荒潮が編入し第8駆逐隊が完成。
1939年11月1日 — 第8駆逐隊へ改称
横須賀鎮守府へ転籍。第二艦隊第二水雷戦隊に編入
1941年12月8日 — 開戦
マレー上陸作戦、リンガエン湾上陸作戦(フィリピン)護衛
- 第二艦隊南方部隊本隊として開戦。フィリピン・マレー方面の上陸作戦支援に参加。1942年2月初旬、バリ島揚陸のため第8駆逐隊が出動。
1942年2月20日 — バリ島沖海戦(大破・64名戦死)
機関室に被弾・大破64名戦死。漂流しながら哨戒継続
- バリ島揚陸完了後、空襲で損傷した輸送船護衛のため満潮・荒潮は先行退避。急報を受けて反転しバダン海峡突入。午前3時47分、ABDA第2陣と交戦。機関室に被弾・大破・64名戦死・航行不能。漂流しながら残敵哨戒継続。荒潮の曳航で帰投。横須賀で長期修理入り。
1942年11月13日 — ショートランド空襲で大破
出撃準備中のショートランドが空襲。至近弾で大破浸水
- 横須賀修理完了後、ショートランドへ進出。11月13日の第三次ソロモン海戦当日、出撃準備中のショートランドが空襲を受け、満潮は至近弾で大破浸水。再び長期修理へ。この間に朝潮が11月のガダルカナル輸送・第三次ソロモン支援に参加。
1943年2〜3月 — 第8駆逐隊の僚艦3隻が連続戦没
- 満潮が修理中の間に、第8駆逐隊の3隻が相次いで戦没。第8駆逐隊は4月1日付で解隊、同日付で艦型名が「満潮型」に改称された。満潮は第24駆逐隊に転籍。
1943年〜1944年初頭 — 第24駆逐隊→第4駆逐隊へ転籍
ガダルカナル後の護衛任務。第4駆逐隊(野分・山雲・朝雲)に編入
- 修理完了後、各地の護衛・輸送任務に就く。第4駆逐隊(当初は陽炎型4隻・野分・嵐・萩風・舞風)に転籍。この時点で第4駆逐隊の陽炎型は野分のみが残存し、朝潮型の山雲・朝雲・満潮が穴埋め的に加わった。
1944年6月 — マリアナ沖海戦
第2航空戦隊本隊乙部隊として参加・生還
- マリアナ沖海戦に第4駆逐隊(満潮・山雲・野分)として参加。機動部隊の護衛として行動し生還。帰途の7月26日、潜水艦の雷撃で護衛中の野分が沈没(駆逐艦沈没)。満潮は生還。
1944年10月17-22日 — レイテ沖海戦・西村艦隊編成
第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)としてブルネイ出撃
1944年10月25日0358 — スリガオ海峡夜戦(戦没)
米駆逐艦ハッチンズの魚雷5本が命中。約230名戦死
- 25日未明、スリガオ海峡に突入。魚雷艇の攻撃は撃退したが、米駆逐艦隊の雷撃で山雲が轟沈・朝雲が艦首切断・扶桑が戦列離脱。午前3時58分、ハッチンズが朝雲へ発射した魚雷5本が満潮に命中。高橋進駆逐隊司令含む約230名戦死。西村艦隊7隻のうち生還は時雨のみ。野分も同日別方向から被撃沈。第4駆逐隊全滅。
1945年1月10日 — 除籍
除籍。第4駆逐隊も同日解隊
- 満潮除籍・第4駆逐隊解隊。艦名「みちしお」は後に海上自衛隊の潜水艦(初代・2代目)に継承された。
SUMMARY
RECORD
満潮 全艦歴まとめ
満潮は1937年10月に藤永田造船所で竣工した朝潮型3番艦。バリ島沖海戦で機関室に被弾し64名が戦死・漂流しながら哨戒継続。第8駆逐隊の生き残りとして、朝潮(3/3)・大潮(2/21)・荒潮(3/4)が次々と沈む中、ただ一艦で生き残った。第24駆逐隊→第4駆逐隊へと移籍し、マリアナ沖海戦を経て西村艦隊の一員として1944年10月25日スリガオ海峡に突入——米駆逐艦ハッチンズの魚雷5本が命中し、高橋進司令含む約230名と共に沈没した。
満潮が「満潮型」の名を与えられた皮肉——ネームシップ「朝潮」の沈没(1943年3月3日)を受けて、残存艦中で最初に竣工した艦として「満潮型」に改称された(4月1日付)。型の名前を持ちながら、型名を継承する意味も担うことなく、スリガオで沈んだ。
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3つの駆逐隊を渡り歩き、スリガオ海峡に沈んだ「最後の生き残り」——満潮の魂を、その身に纏え
「バリ島沖64名・スリガオ230名——生き残ることの重さを背負い続けた朝潮型3番艦」
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『捷号海上作戦』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)満潮公文備考 / 第8・第4駆逐隊戦時日誌
- ・Wikipedia「満潮 (駆逐艦)」「バリ島沖海戦」「スリガオ海峡夜戦」「レイテ沖海戦」
- ・村井至「太平洋戦争と日本の駆逐艦 満潮、朝雲、山雲、時雨」
- ・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫
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