1943年3月4日——ビスマルク海、ダンピール海峡。前日のビスマルク海海戦で爆弾を受けた「荒潮」は大破・放棄状態で漂流していた。乗員はすでに脱出していた。その荒潮に、再来襲した連合軍機の猛爆が降り注ぎ、ついに荒潮は海に沈んだ。皮肉なことに、その荒潮の乗員を救助したのは——翌日自らも沈む運命にあった「朝潮」だった。荒潮が大潮の乗員を救助し、朝潮が荒潮の乗員を救助し、そして朝潮自身は誰にも救助されなかった——第8駆逐隊の最後の12日間は、「救助の連鎖」と「命の連鎖」が入り乱れた凄絶な幕切れだった。
「荒潮」は朝潮型駆逐艦4番艦として1937年12月に神戸川崎造船所で竣工した。第8駆逐隊(朝潮・大潮・満潮)に最後に加わり4隻体制を完成させた艦として、バリ島沖海戦では満潮とともに第2波の反転突撃を担い、トロンプに損傷を与えた。ミッドウェーでは朝潮と共に三隈乗員を救助し、ケ号作戦では大潮の乗員を救助した。荒潮の艦歴には「救助」という行為が繰り返し現れる——そして最後は、自らが救助される側になった。
そして——ビスマルク海海戦当日(3月3日)に荒潮は大破・放棄され、翌4日に米機に沈められた。朝潮が荒潮の乗員を収容したのはまさにその沈む直前。朝潮が荒潮の生存者を収容した直後に、今度は朝潮が連合軍機の攻撃を受けて沈んだ。大潮・荒潮・朝潮——第8駆逐隊の3隻は、互いに救助しながら、2週間以内に全艦が海底に沈んだ。
3基6門
(8射線・九三式酸素魚雷)
艦本式タービン2基
ビスマルク海・大破放棄後に撃沈
1935年10月1日、神戸川崎造船所で起工された荒潮は、1937年12月20日に竣工した。同年10月31日に竣工した朝潮・大潮・満潮の3隻より約2ヶ月遅れての竣工であり、翌1938年1月8日に第25駆逐隊(後の第8駆逐隊)に編入されて4隻体制が完成した。臨機調事件の改装工事を終えて1939年11月に第8駆逐隊として横須賀へ転籍し、荒潮は開戦まで訓練に専念した。荒潮が第8駆逐隊の「最後の1ピース」として加わることで、朝潮型最強の駆逐隊が完成した。
バリ島への揚陸を終え、空襲で損傷した輸送船・相模丸を護衛して先行撤退していた荒潮と満潮は、深夜に届いた急報で引き返した。「朝潮・大潮がABDA艦隊と交戦中——反転せよ」。2隻は再びバリ島に戻り、バダン海峡に突入した。ABDA第2陣の軽巡トロンプと駆逐艦4隻に対して荒潮・満潮が砲雷撃を浴びせ、トロンプにさらなる損傷を与えた。しかしこの海戦で満潮が機関室に被弾して大破し64名が戦死した。荒潮は損傷した満潮の曳航を助けながらマカッサルへ退避した。
1943年2月7日、ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)の最終回(第3次)が完了した。5,183名の守備隊全員を救出した作戦帰途の2月20日——大潮が米潜水艦アルバコアの雷撃を受けて航行不能になった。荒潮が大潮に接近し、乗員を救助しながら曳航を試みた。しかし翌21日朝、曳航中の大潮は船体が中央部で断裂して沈没した。荒潮は大潮の生存者を収容してラバウルへ帰投した。荒潮が大潮の乗員を救ったのだ。そして荒潮は、その10日後にビスマルク海へ向かうことになる。
2月20日:大潮が被雷・航行不能→荒潮が大潮乗員を救助
2月21日:大潮が沈没→荒潮がラバウルへ帰投
3月3日:荒潮が大破放棄、朝潮が荒潮乗員を収容
3月3-4日:荒潮が米機に撃沈される
3月3日(同日):朝潮が連合軍機に轟沈
この12日間に、第8駆逐隊は「救助する側」と「救助される側」を交代しながら次々と消えていった。
1943年3月3日——ビスマルク海。ラエへの第51師団輸送船団を護衛していた荒潮は、連合軍約268機の来襲を受けた。反跳爆撃と急降下爆撃の雨の中、荒潮は爆弾を受けて大破した。乗員は脱出し、艦は放棄された。漂流する荒潮に翌4日も連合軍機が攻撃を加え、ついに荒潮は沈んだ。しかし荒潮の乗員は——同日生存者救助に現れた朝潮に収容されていた。
朝潮は佐藤康夫司令の命令で、撤退命令を無視して荒潮と野島の生存者救助のために現場に残っていた。荒潮の乗員も含む生存者146名を収容した直後、再来襲した連合軍機約40機の猛爆を受けて朝潮が轟沈した。荒潮の乗員は——朝潮ごと海に沈んだ。朝潮が「荒潮と野島の乗員を救う」と約束を守った結果、その収容した乗員ごと消えた。
荒潮が「大破放棄」されてから沈没するまでに約1日かかったという事実は、朝潮型の船体強度の高さを皮肉にも示している。即座に沈まなかったからこそ、翌日も米機の攻撃を受けた。荒潮の沈没は「海戦での戦没」ではなく「放棄艦への追い打ち」という形だった。それが荒潮という艦の最期だった。
荒潮の本質は、「救助し続けた艦」という一点にある。バリ島沖では大破した満潮を曳航し、ミッドウェーでは三隈の乗員救助を朝潮と共に行い、ケ号作戦帰途では大潮の乗員を救助した。荒潮が第8駆逐隊の4番艦として「最後に加わった艦」だったように、荒潮の艦歴における救助行為も、常に「最後の一手」として現れた。
しかし、この「救助の連鎖」の末端には残酷な事実がある。荒潮が救助した大潮の乗員は、大潮と共に沈まずに済んだ。しかし荒潮の乗員は、朝潮に収容された後に朝潮と共に沈んだ。「救助された側が再び沈む」という連鎖は、第8駆逐隊が置かれた消耗戦の構造そのものだった。荒潮が大潮を救い、朝潮が荒潮を救い、そして誰も朝潮を救えなかった——この連鎖の末端で朝潮が沈んだことは、「救助とは究極的には時間を買う行為だった」という太平洋戦争の現実を照らしている。
神戸川崎造船所で竣工し、第8駆逐隊に最後に加わった荒潮は、第8駆逐隊の中で最初に「放棄」という形の最期を迎えた。艦は放棄され、翌日に沈み、乗員は朝潮に救われたが朝潮ごと消えた。「荒れた潮」という名を持つ荒潮は、ビスマルク海の荒波の中で——消えた。猫工艦は、救助し続けた「最後の1ピース」の航跡に、今も敬意を捧げたい。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『南東方面海軍作戦』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)荒潮公文備考 / 第8駆逐隊戦時日誌
- ・Wikipedia「荒潮 (駆逐艦)」「バリ島沖海戦」「ビスマルク海海戦」「ケ号作戦」
- ・増田禮二『怨み深し血の海、ビスマルクの海』
- ・海老原康之『夜戦の白眉 第八駆逐隊 朝潮型四隻の奮戦』
- ・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫
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