朝潮型 · 5番艦 · 第9→第4駆逐隊
ASAGUMO 朝雲
485名を救助し怒声を上げ、艦首を失っても戦い続けた「怒れる生き残り」
神戸川崎造船所が建造した朝潮型5番艦。スラバヤ沖・第三次ソロモン・ビスマルク海・キスカ撤退・スリガオと太平洋の主要海戦を全て経験した艦。ビスマルク海後に「無謀な作戦」と怒声を上げた艦長と、艦首を失っても戦い続けた朝雲の諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
朝潮型 5番艦
DISPLACEMENT
1,961 t
MAX SPEED
34.85 kt
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1944.10.25 戦没
| 艦名 | 朝雲(あさぐも) |
| 艦型・番艦 | 朝潮型(満潮型)駆逐艦 5番艦 |
| 建造所 | 神戸川崎造船所 |
| 起工日 | 1936年(昭和11年)12月23日 |
| 進水日 | 1937年(昭和12年)11月5日 |
| 竣工日 | 1938年(昭和13年)3月31日 |
| 除籍日 | 1944年(昭和19年)12月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 全長 | 118.0m |
| 全幅 | 10.386m |
| 吃水 | 3.683m(平均) |
| 基準排水量 | 1,961t |
| 公試排水量 | 2,635t |
| ボイラー | ロ号艦本式重油専焼水管缶 3基 |
| タービン | 艦本式タービン 2基 2軸 |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 速力(公試) | 34.85ノット |
| 航続距離 | 18ノットで5,000海里 |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm C型連装砲 3基6門 |
| 魚雷発射管 | 九二式61cm四連装水上発射管 2基8射線(九三式酸素魚雷搭載) |
| 対空機銃 | 九六式25mm連装機銃 / 九三式13mm機銃(竣工時) |
| 対潜装備 | 九三式水中探信儀(ソナー)/ 爆雷投射機 |
| 乗員 | 約230名(定員) |
| 所属部隊変遷 | 第41駆逐隊→第9駆逐隊→第10駆逐隊→第4駆逐隊(西村艦隊) |
| ビスマルク海後艦長 | 岩橋吉隆 中佐(「無謀な作戦」と第八艦隊に直言) |
| 戦没 | 1944年10月25日 スリガオ海峡夜戦(西村艦隊) |
| 戦没状況 | 米駆逐艦マクダーマットの魚雷で艦首喪失→反転離脱→米軽巡デンバー・コロンビアにとどめ→沈没 |
| 戦死者 | 約200名 / 生存者25名がマニラ地区地上部隊に編入(捕虜) |
| 艦名継承 | 海上自衛隊やまぐも型護衛艦3番艦「あさぐも」 |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没・除籍まで
1936年12月23日 — 起工
神戸川崎造船所にて起工
- 1936年10月22日、川崎造船所で建造予定の駆逐艦が「朝雲」と命名(山雲・工作艦明石と同時命名)。12月23日起工。1937年11月5日進水。
1938年3月31日 — 竣工
竣工。第41駆逐隊に編入
- 竣工後、第41駆逐隊に編入。1939年11月1日、第9駆逐隊(朝雲・山雲・夏雲・峯雲)に改称・横須賀鎮守府へ転籍。第4水雷戦隊に所属。
1941年12月8日 — 開戦
フィリピン攻略(リンガエン湾・ダバオ)護衛
- 第9駆逐隊として第4水雷戦隊に所属。フィリピン・リンガエン湾上陸作戦、ダバオ攻略の護衛に参加。山雲はリンガエンで触雷し長期修理離脱。朝雲・夏雲・峯雲の3隻で行動が続く。
1942年3月1日 — スラバヤ沖海戦(機関室損傷)
スラバヤ沖海戦に参加。被弾により機関室が損傷・速力低下
- スラバヤ沖海戦(連合国艦隊との最終決戦)に第9駆逐隊として参加。戦闘中に砲弾が命中し機関室が損傷、速力が低下。それでも帰投に成功した。
1942年11月13日 — 第三次ソロモン海戦
比叡護衛任務に参加
- ガダルカナル方面での第三次ソロモン海戦に参加。大破した戦艦比叡の護衛に向かうも、比叡は翌日沈没。朝雲は生還。
1942年10月12日 — 夏雲戦没(サボ島沖海戦)
第9駆逐隊の仲間・夏雲が戦没
- サボ島沖海戦で夏雲が米軍機の空襲を受け沈没。第9駆逐隊は朝雲・峯雲・山雲(修理中)の3隻に。
1943年3月3-5日 — ビスマルク海海戦・485名救助
空襲から生き残り、485名を救助してカビエン帰投。艦長が上層部に直言
- ビスマルク海海戦で連合軍機が来襲。輸送船12隻・護衛駆逐艦4隻が沈没する中、朝雲は空襲を回避。3月4日夜から救助活動を開始し、雪風・敷波と共に最後まで現場に残り計485名を救助してカビエンへ帰投した。帰投後、岩橋吉隆艦長は第八艦隊司令部に「こんな無謀な作戦は日本民族を滅亡させるものだ」と直言した。
1943年3月5日 — 峯雲戦没(ビラ・スタンモーア夜戦)
第9駆逐隊の仲間・峯雲が戦没。朝雲と山雲のみに
- ビスマルク海海戦の同日、峯雲がビラ・スタンモーア夜戦で戦没。第9駆逐隊は朝雲1隻に。4月1日附で薄雲・白雲が編入されて戦力を回復した。
1943年7月 — キスカ島撤退作戦(ケ号作戦)
5,183名のキスカ守備隊全員の撤収に参加・成功
- 北方部隊に編入された朝雲は、キスカ島撤退作戦(ケ号作戦)に参加。濃霧を利用して5,183名を救出するという史上最も成功した撤退作戦の一つに貢献した。
1943年10月31日〜1944年7月 — 第10→第4駆逐隊へ移籍
第9駆逐隊が解体。第10→第4駆逐隊(満潮・山雲・朝雲・野分)へ
- 10月31日、朝雲は第10駆逐隊へ転出。1944年7月、第4駆逐隊(満潮・山雲・朝雲・野分)に編入。マリアナ沖海戦(第2航空戦隊本隊乙部隊として)にも参加し生還。
1944年10月22日 — 西村艦隊としてブルネイ出撃
捷一号作戦・第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)に編入
- 第4駆逐隊3隻(満潮・朝雲・山雲)が西村艦隊(山城・扶桑・最上・時雨)に編入。野分は栗田艦隊へ。10月22日ブルネイを出撃し、スリガオ海峡に向かう。
1944年10月25日 — スリガオ海峡夜戦(戦没)
艦首を喪失・反転離脱するも追撃されて沈没
- 25日未明、スリガオ海峡突入。山雲轟沈・満潮被雷の後、三番手の朝雲が米駆逐艦マクダーマットの魚雷で艦首を喪失し低速で反転・離脱開始。重巡最上と共に退却を試みたが、米軽巡デンバー・コロンビアにとどめを刺されて沈没。総員退去後も集中射撃。朝雲から脱出した内火艇も撃沈。戦死約200名・生存者25名がマニラ地区地上部隊に編入(捕虜)。野分も同日別方向で撃沈され、第4駆逐隊は1日で全滅。
1944年12月10日 — 除籍
除籍。艦名は海自やまぐも型護衛艦3番艦「あさぐも」に継承
- 12月10日除籍。艦名「あさぐも」は戦後、海上自衛隊のやまぐも型護衛艦3番艦に継承された。
SUMMARY
RECORD
朝雲 全艦歴まとめ
朝雲は1938年3月に神戸川崎造船所で竣工した朝潮型5番艦。第9駆逐隊(山雲・夏雲・峯雲)の一員として太平洋を転戦。スラバヤ沖では機関損傷、ビスマルク海では485名を救助して帰投後に艦長が上層部に「無謀な作戦は日本を滅ぼす」と直言。キスカ撤退作戦を成功させ、第4駆逐隊として西村艦隊に加わったスリガオ海峡夜戦(1944年10月25日)で米駆逐艦の魚雷で艦首を喪失・炎上・米軽巡にとどめを刺されて沈没。戦死約200名・生存者25名が捕虜となった。
第9駆逐隊の中で最後まで生き残った朝雲——夏雲(1942年10月)・峯雲(1943年3月)が戦没する中、朝雲は「生き残る側」として転戦し続けた。第8駆逐隊の満潮と同じく、「最後の生き残り」として異なる駆逐隊に移籍し、スリガオで最期を迎えた。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『南東方面海軍作戦』『捷号海上作戦』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)朝雲公文備考 / 第9・第4駆逐隊戦時日誌
- ・Wikipedia「朝雲 (駆逐艦)」「スラバヤ沖海戦」「ビスマルク海海戦」「キスカ島撤退作戦」「スリガオ海峡夜戦」
- ・丹羽年雄「第九駆逐隊の奮闘と壮烈なる最後」
- ・村井至「太平洋戦争と日本の駆逐艦 満潮、朝雲、山雲、時雨」
- ・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫
- → 山雲——開戦31日目に味方機雷で行動不能、スリガオで轟沈した6番艦