1943年5月8日午前3時49分、ブラケット海峡。先頭を行く「親潮」が轟音と共に炎上した。「黒潮」と「陽炎」はこれを潜水艦の雷撃と判断し、警戒しながら低速で周囲を動き続けた——それが機雷原の中を彷徨うという、最悪の選択になるとは知らずに。まもなく「陽炎」が触雷、そして「黒潮」自身も機雷に触れる。搭載していた魚雷までもが誘爆し、艦は轟音と共に瞬時に姿を消した。
「黒潮」は陽炎型駆逐艦の3番艦。大阪の藤永田造船所で建造され、1940年1月に竣工した。竣工時は陽炎型8番艦「雪風」とわずか1週間差で第16駆逐隊を編成した僚艦だった。しかし開戦前の1941年11月、「黒潮」は第15駆逐隊へ転出し、その後の運命は「雪風」とは対照的な道をたどることになる。
マカッサル沖での僚艦「夏潮」の曳航失敗、ルンガ沖夜戦での重巡撃沈への貢献——「黒潮」は陽炎型駆逐艦として着実な戦歴を積み重ねた。しかし最期は、僚艦「陽炎」「親潮」と全く同じ海域・同じ日に、機雷という見えない敵によって同時に奪われた。第15駆逐隊、最後の1日を追う。
1937年8月31日
1940年1月27日竣工
岡本中佐
全長111.0m
52,000馬力
九三式酸素魚雷
ブラケット海峡で触雷・魚雷誘爆し轟沈
「黒潮」は仮称19号艦として藤永田造船所で1937年8月31日に起工。1938年4月15日に「黒潮」と命名され、同日附で「陽炎型駆逐艦」が艦艇類別等級表に新設された。1940年1月27日の竣工時、同型8番艦「雪風」(1月20日竣工)とはわずか1週間差で、両艦は第16駆逐隊を編成する。しかし1941年11月15日、「黒潮」は第15駆逐隊へ転出し、代わりに「時津風」が16駆に加わった。この配置換えにより、「黒潮」は「雪風」が歩むことになる「奇跡の生還」とは全く異なる戦歴を歩むことになる。
1942年2月8日、蘭印攻略作戦中のマカッサル沖で、輸送船団護衛にあたっていた第15駆逐隊は米潜水艦S-37の襲撃を受けた。艦列最後尾を航行していた僚艦「夏潮」が魚雷を受けて航行不能となる。「黒潮」は「夏潮」の曳航を試みたが、浸水は止まらなかった。翌9日朝、「夏潮」はついに沈没する。これは陽炎型19隻の中で最初の戦没艦となった。
この事件により、第15駆逐隊は司令駆逐艦を「親潮」に変更し、しばらくは陽炎型3隻(親潮・黒潮・早潮)編制で活動を続けた。7月20日、キスカ島で被害を受けた第18駆逐隊から難を逃れた「陽炎」が編入され、第15駆逐隊は再び陽炎型4隻を揃えることになる。皮肉にも、この4隻編制がそのまま1年後、ブラケット海峡での運命共同体となる。
黒潮にとって、僚艦を救おうとして救えなかった経験は、これが最初だった。つまりどういうことか。駆逐艦という艦種は、常に「仲間を守る側」であることを期待されながら、その責務を果たしきれない瞬間を何度も経験する運命にある。この日の無力感は、1年後、自らが同じように機雷原で消える伏線として読むこともできる。
1942年11月30日、ガダルカナル島への「ドラム缶輸送」の帰路で発生したルンガ沖夜戦。この夜、僚艦「陽炎」が重巡ノーザンプトンへの雷撃で戦果を挙げたのはよく知られているが、「黒潮」もまた同じ第二水雷戦隊の一員として、この輸送作戦・戦闘に参加していた。日本側は「高波」を失いながらも、米重巡3隻を撃破・撃沈する戦術的勝利を収めている。
その後もガダルカナル撤退(ケ号作戦)を経て、「黒潮」は僚艦と共に「隼鷹」の護衛任務にあたった。トラック泊地からの出港では、悪天候のため艦載機の収容ができず、他艦が2月15日に出港する中、黒潮を含む4隻だけが1日遅れての出港となっている——小さな遅延だが、駆逐艦部隊が常に細かな運用判断の積み重ねで動いていたことを物語るエピソードである。
ルンガ沖夜戦での戦果は、黒潮と陽炎が同じ戦場で並び立った最後の輝かしい記録だった。つまりどういうことか。この半年後、2隻はブラケット海峡で全く同じ運命——機雷による戦没——を共有することになる。栄光を分かち合った僚艦が、最期もまた分かち合うことになったのは、この駆逐隊の宿命だったのかもしれない。
1943年、第15駆逐隊(陽炎・黒潮・親潮)はコロンバンガラ島への輸送任務(全6回)に投入されていた。毎回同じ航路を取っていたことをアメリカ軍に見抜かれ、5月7日、機雷敷設艦3隻がブラケット水道に機雷を敷設する。5月8日未明、5回目の輸送を終え帰途についた3隻は、この機雷原に突入した。
3時49分、先頭の「親潮」が大爆発を起こした。「黒潮」と「陽炎」はこれを潜水艦による雷撃と誤認し、爆雷を投下。停止すると危険と判断し、周辺を警戒しながら低速で動き続けた。しかしこれが機雷原の中を彷徨うという最悪の判断になる。まもなく「陽炎」が触雷し、続いて「黒潮」自身も機雷に触れた。搭載していた魚雷が誘爆し、艦は轟沈——第15駆逐隊3隻が同日に失われるという、日本駆逐艦史上でも稀に見る惨事だった。
黒潮の轟沈が特に凄惨だったのは、機雷の爆発そのものよりも、艦が搭載していた酸素魚雷の誘爆にあった。つまりどういうことか。九三式酸素魚雷は水上砲戦において絶大な威力を誇った兵器だったが、それは自らの艦にとっても、被弾時には最大の脅威になり得るということを、この最期が証明している。
「黒潮」の本質は、「僚艦との結びつきが、栄光も最期も同時にもたらした艦」という一点にある。「雪風」とはわずか1週間差で竣工しながら開戦前に袂を分かち、「陽炎」とはルンガ沖で栄光を分かち合い、そして最後は機雷原で運命も分かち合った。この艦の物語は、常に誰かとの関係性の中で語られる。
しかし、その関係性は必ずしも幸運をもたらさなかった。マカッサル沖で僚艦「夏潮」を救えなかった経験は、1年後、自らが同じように救われることのない結末を迎える予兆だったのかもしれない。一方でルンガ沖夜戦での戦果は、この艦が艦隊決戦用駆逐艦として設計通りの働きを見せた確かな証拠でもある。栄光と喪失の両方を、僚艦との結びつきの中で経験し続けたのが「黒潮」だった。
この艦が残したものは何か。「黒潮」の名は戦後、海上自衛隊の潜水艦に4代にわたって受け継がれている。同じ第16駆逐隊を組んだ「雪風」が「奇跡の駆逐艦」として今も語り継がれる一方、「黒潮」の物語は僚艦たちとの結びつきの中に静かに刻まれている。猫工艦は、誰かと共に戦い、誰かと共に消えた、この艦の在り方に敬意を表したい。
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