陽炎型 · 2番艦 · 第18駆逐隊
SHIRANUI 不知火
ネームシップの名を継いだ艦、レイテで消えた最後の喪失艦
陽炎型駆逐艦19隻の2番艦。1939年12月竣工。1943年5月、ネームシップ「陽炎」の戦没を受け、艦型名は書類上「不知火型駆逐艦」に改定された。キスカ島で艦橋付近を切断する大破を乗り越えながら、1944年10月27日、座礁した僚艦「早霜」の救助中に空襲を受け轟沈。レイテ沖海戦、最後の喪失艦となった。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
陽炎型 2番艦
DISPLACEMENT
2,000 t
MAX SPEED
35.0 kt
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1944.10.27 戦没
| 艦名 | 不知火(しらぬい) |
| 艦型・番艦 | 陽炎型駆逐艦 2番艦(後に艦型名「不知火型」の由来艦) |
| 建造所 | 浦賀船渠 |
| 起工日 | 1937年8月30日(陽炎型19隻中、最も早い起工) |
| 進水日 | 1938年6月28日 |
| 就役日 | 1939年12月20日(陽炎に次ぐ2番目の竣工) |
| 全長 | 118.5m |
| 全幅 | 10.8m |
| 吃水 | 3.76m |
| 基準排水量 | 2,000トン |
| 公試排水量 | 約2,490トン |
| 機関 | ロ号艦本式缶3基/艦本式タービン2基2軸 |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 速力(計画) | 35.0ノット |
| 航続距離 | 18ノットで5,000海里 |
| 主砲 | 12.7cm連装砲C型 3基6門(最大仰角55度) |
| 魚雷発射管 | 九二式61cm4連装発射管 2基8門 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷 |
| 対空機銃 | 25mm連装機銃2基(竣工時。1943年以降増備) |
| 爆雷 | 九四式爆雷投射機1基・投下台6基 |
| 電探 | 1943年以降、対水上用22号電探装備。1944年、対空用13号電探増設 |
| 所属 | 呉鎮守府/第18駆逐隊(陽炎・霞・霰) |
| 特記事項 | 陽炎型19隻中最速の起工。1943年5月、ネームシップ陽炎戦没に伴い艦型名が「不知火型駆逐艦」に改定される。長期修理中の撮影写真が陽炎型研究の一級資料に |
| 戦没 | 1944年10月27日 フィリピン諸島シブヤン海(セミララ島沖) |
| 戦没原因 | 米艦載機の攻撃を受け轟沈。司令・艦長以下総員戦死 |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没まで
1937年8月30日 — 起工
浦賀船渠で起工
- 陽炎型19隻中、最も早い起工日だった。
1939年12月20日 — 竣工
竣工。第18駆逐隊(陽炎・霞・霰)に編入
- 陽炎の竣工より約1.5ヶ月遅れ、同型2番艦となった。呉鎮守府所属。
1941年11月26日 — 真珠湾攻撃
機動部隊警戒隊として参加
- 第一水雷戦隊司令官・大森仙太郎少将(旗艦阿武隈)指揮下で参加した。
1942年4月 — インド洋作戦
セイロン沖海戦に勝利
- セレベス島出港、4月5-9日の海戦後、呉で入渠修理を実施した。
1942年6月 — ミッドウェー作戦
那智を旗艦とした第五艦隊所属で参加
- 古巣の第二水雷戦隊に復帰し、輸送船団護衛にあたった。
1942年7月5日 — キスカ島沖で大破
米潜水艦グロウラーの雷撃で艦橋付近を大破
- 濃霧のため仮泊中に被雷。霰轟沈、霞大破。第18駆逐隊司令・宮坂義登大佐が自決し、同隊は事実上解隊となった。
1942年8月〜9月 — 帰投
後進曳航、自力後進を経て舞鶴帰投
- 艦首を爆破切断(後に転覆沈没)、重量物を陸揚げした後、後進状態で本土へ帰った。9月3日舞鶴到着、長期修理へ。
1943年5月8日 — 艦型名改定
ネームシップ「陽炎」戦没
- 陽炎がブラケット海峡で機雷により戦没。書類上の艦型名が「陽炎型駆逐艦」から「不知火型駆逐艦」に改定された。
1944年6月21日 — 装備強化
サイパン殴り込み作戦準備、レーダー・機銃を整備
- 対潜性能強化のため探信儀装備工事を実施した。
1944年6月19-23日 — マリアナ沖海戦
敗北により殴り込み作戦中止
- 日本海軍の機動部隊が壊滅し、サイパン奪回作戦は実施前に断念された。
1944年8月〜10月 — 緊急輸送
父島緊急輸送、捷号作戦訓練
- 第4804船団壊滅を受けた父島への緊急輸送任務の後、瀬戸内海で小沢機動部隊と訓練を行った。
1944年10月25日 — レイテ沖海戦
スリガオ海峡へ突入・撤退
- 志摩艦隊として西村艦隊に続行するが、西村艦隊はすでに壊滅。旗艦那智が最上と衝突損傷、炎上する扶桑を視認し戦果なく反転した。
1944年10月27日 — 戦没
早霜救助中に空襲、轟沈・総員戦死
- 損傷した重巡鬼怒を捜索するも発見できず、代わりにセミララ島に座礁した早霜を発見。救助のため停止中に空襲を受け、艦中央部に被弾。艦は2つに折れて轟沈し、司令・艦長以下生存者なし。レイテ沖海戦最後の喪失艦となった。
SUMMARY
RECORD
不知火 全艦歴まとめ
陽炎型19隻の2番艦として生まれた「不知火」は、竣工では「陽炎」に一歩譲りながらも、ネームシップの戦没後は艦型名そのものを継承する立場となった。キスカ島で艦橋付近を切断する大破を負いながらも自力で本土へ帰り着き、長期修理中に撮影された鮮明な写真は、今日でも陽炎型研究の貴重な資料として残っている。しかし1944年10月27日、レイテ沖海戦の最中、座礁した僚艦「早霜」を救助しようとした「不知火」は、停止状態のまま空襲を受けて轟沈し、司令・艦長以下全員が戦死した。名を継いだ艦の責務と、それでも訪れる終わりの理不尽さの両方を体現した艦歴だった。
名を継いだ艦の最期——ネームシップ「陽炎」の戦没を受けて艦型名を引き継いだ「不知火」だが、その最期もまた、僚艦を救おうとした末の理不尽な喪失だった。艦型全体を代表する名を背負った艦が、最も人間的な行動(救助)の最中に失われたという事実は、太平洋戦争の駆逐艦隊が置かれた過酷さを象徴している。
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