陽炎型 · 5番艦 · 第十五駆逐隊
HAYASHIO 早潮
二水戦旗艦を2度背負い、僚艦の手で終わりを告げられた艦
陽炎型駆逐艦19隻の5番艦。浦賀船渠で建造され、1940年8月31日に竣工。輸送・護衛任務に徹し、1942年9月と11月の2度、二水戦旗艦を務めた。同年11月24日、ニューギニア・フォン湾でB-17の空襲を受け炎上、僚艦「白露」の砲撃処分により戦没した。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
陽炎型 5番艦
DISPLACEMENT
2,000 t級
MAX SPEED
35.0 kt
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1942.11.24 戦没
| 艦名 | 早潮(はやしお/はやしほ) |
| 艦型・番艦 | 陽炎型駆逐艦 5番艦 |
| 建造所 | 浦賀船渠 |
| 起工日 | 1938年6月30日 |
| 進水日 | 1939年4月19日 |
| 竣工日 | 1940年8月31日(親潮・夏潮と同日竣工) |
| 全長 | 118.5m |
| 全幅 | 10.8m |
| 機関 | ロ号艦本式缶3基/艦本式タービン2基2軸 |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 速力(計画) | 35.0ノット |
| 航続距離 | 18ノットで約9,260km(陽炎型公表値) |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cmC型連装砲 3基6門(全周囲シールド) |
| 魚雷発射管 | 九二式61cm2型4連装水上発射管 2基8門 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷(竣工時より搭載) |
| 対空機銃 | 九六式25mm連装機銃2基(竣工時) |
| 爆雷 | 九四式爆雷投射機1基/九一式爆雷 |
| ソナー | 九三式水中探信儀(アクティブ)/九三式水中聴音機(パッシブ) |
| 乗員 | 約239名(定員) |
| 初代艤装員長・艦長 | 山隈和喜人中佐(1940年5月1日任命、8月31日正式艦長) |
| 二代目艦長 | 金田清之中佐(1941年9月1日補職) |
| 所属駆逐隊 | 第十五駆逐隊(親潮・黒潮・夏潮→陽炎) |
| 特筆事項 | 1942年9月・11月の2度、第二水雷戦隊旗艦を務めた(司令官田中頼三少将) |
| 戦没 | 1942年11月24日 ニューギニア・フォン湾 |
| 戦没原因 | B-17爆撃機の空襲により炎上、僚艦「白露」の砲撃処分により沈没 |
| 戦死者 | 約50名 |
| 沈没地点 | 南緯06度54分 東経147度55分 |
| 除籍 | 1942年12月24日(帝国駆逐艦籍・第十五駆逐隊・陽炎型駆逐艦の全てから除籍) |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没・除籍まで
1941年6月18日〜9月1日 — 人事交代
駆逐隊司令・艦長が相次いで交代
- 司令が植田大佐から佐藤寅治郎大佐に交代。早潮艦長も山隈中佐から金田清之中佐に交代した。
1941年12月〜1942年1月 — 南方攻略戦
フィリピン・蘭印攻略戦に参加
- ダバオ、レガスピー、ホロ攻略作戦、続いてメナド・ケンダリー・アンボン・マカッサル各攻略作戦に従事した。
1942年4月17-20日 — ドーリットル警戒
警戒部隊に編入、ソ連商船を臨検
- ドーリットル空襲後の警戒部隊に編入。4月19日朝にソ連商船の臨検を実施したが、悪天候の中で見失った。
1942年5月10-17日 — 空母護衛
損傷空母「翔鶴」を護衛
- 珊瑚海海戦で損傷した「翔鶴」をサイパン付近で合流・護衛し、5月17日に呉へ送り届けた。
1942年5月28日〜6月14日 — ミッドウェー作戦
航空隊護衛としてキューア島攻略任務
- 親潮・黒潮とは別行動で、第十一航空戦隊(千歳・神川丸)の護衛としてキューア島(クレ環礁)攻略・水上機基地設営任務に従事。6月5日の空母壊滅後は高速を活かし「千歳」といち早く船団本隊へ合流した。
1942年7-8月 — B作戦
インド洋通商破壊作戦(中止)に参加予定
- 機動部隊南方隊(西村祥治指揮)に所属しメルギーに集結するが、ガダルカナル島攻防戦の生起によりB作戦は中止された。
1942年10月9-14日 — 鼠輸送・艦砲射撃護衛
陸軍770名の輸送成功、ヘンダーソン基地砲撃を護衛
1942年11月12日 — 二水戦旗艦(2度目)
田中頼三少将、旗艦を「早潮」に変更
1942年11月12-15日 — 第三次ソロモン海戦
輸送作戦、日本軍の大敗
- 挺身攻撃隊が夜戦に巻き込まれ船団は一時反転。14日朝に再出撃するも空襲で輸送船6隻沈没。田中少将は残る4隻をガ島に擱座・揚陸させたが、揚陸できた物資はわずかだった。
1942年11月24日 19:00頃 — フォン湾で空襲
B-17爆撃機7機の攻撃、浸水・機械損傷
- ラエへの輸送任務中、フォン湾でB-17の攻撃を受け至近弾で浸水、左舷機械使用不能。2番砲塔射撃不能、3番砲塔通信故障。指揮官は反転を命じた。
1942年11月24日 19:10-25 — 直撃・大火災
第一砲塔と艦橋間に直撃弾、大火災
- 速力28ノットまで回復した直後に至近弾・命中弾を受け大火災に。僚艦「春雨」は接舷を試みたが誘爆の危険で断念した。
1942年11月24日 20:25 — 総員退去
金田艦長、総員退去と軍艦旗降下を命令
- 弾薬・燃料に引火し手のほどこしようがなくなり総員退去を発令。金田艦長は頭部負傷で意識不明のまま救助された。
1942年11月24日 23:05 — 沈没
僚艦「白露」の砲撃処分により沈没
- 魚雷が誘爆し沈没。戦死者約50名。沈没地点は南緯06度54分・東経147度55分。25日、輸送隊の残る4隻はラバウルに帰投した。
1942年12月24日 — 除籍
帝国駆逐艦籍・第十五駆逐隊・陽炎型駆逐艦から除籍
- 金田中佐は秋月型5番艦「新月」艤装員長・初代艦長に任命されるが、1943年3月のクラ湾夜戦で「新月」沈没に伴い戦死した。
SUMMARY
RECORD
早潮 全艦歴まとめ
陽炎型19隻の5番艦「早潮」は、真珠湾やミッドウェーの主力戦闘には参加せず、輸送・護衛・旗艦代行という支援任務に徹した駆逐艦だった。1942年9月と11月の2度、二水戦司令官・田中頼三少将から旗艦としての重責を託され、特に11月12日の第三次ソロモン海戦・輸送作戦では船団の先頭に立った。しかしこの輸送任務の連続が、皮肉にも艦の命を縮める結果となる。1942年11月24日、ニューギニア・フォン湾でB-17の反復爆撃を受けて炎上、僚艦「白露」の砲撃処分により沈没した。陽炎型で2番目に失われた艦であり、戦死者約50名という数字は、大火災の中でも多くの乗員が生還したことを物語っている。
「僚艦の手による最期」——早潮を沈めたのは敵弾ではなく、僚艦「白露」の処分射撃だった。炎上した友軍艦を安全に始末するというこの現実は、駆逐艦同士の絆と、戦場の非情さが同居していたことを示している。
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