吹雪型駆逐艦 暁——最初の犠牲艦・諸元と全戦歴

吹雪型 · 21番艦(特III型・暁型1番艦) · 第10駆逐隊→第6駆逐隊
AKATSUKI 駆逐艦 暁
探照灯が照らした、最初の犠牲艦

1932年竣工、吹雪型(特型)駆逐艦21番艦。「響」「雷」「電」と特III型(暁型)・第6駆逐隊を編制。ルンガ泊地突入で米曳船を撃沈する戦果を上げたが、1942年11月、第三次ソロモン海戦で米軽巡アトランタを探照灯照射した直後、集中砲火を受け15分で転覆沈没した。

諸元データ
竣工時兵装基準・サマリー
艦型
吹雪型21番艦
建造所
佐世保海軍工廠
基準排水量
1,680t
最大速力
34.0kt(改善工事後)
主砲
12.7cm連装砲×3基6門
魚雷兵装
61cm3連装発射管×3基
9射線
艦名暁(あかつき)
艦型・番艦吹雪型(特型)駆逐艦 21番艦(特III型・暁型1番艦)
艦名の由来暁型駆逐艦「暁」、捕獲艦「山彦」に続き3隻目
建造所佐世保海軍工廠
起工日1930年(昭和5年)2月17日
進水日1932年(昭和7年)5月7日
竣工日1932年(昭和7年)11月30日
除籍日1942年(昭和17年)12月15日
類別一等駆逐艦
全長118.5m(特III型は艦橋大型化で重心上昇、改善工事実施)
全幅10.36m
機関艦本式タービン2基2軸、新型空気予熱器付きボイラー3基(特III型の技術革新、缶4基→3基へ減載しつつ燃費10%以上改善)
速力34.0kt(竣工時は約36kt、友鶴事件・第四艦隊事件後の改善工事で公試排水量2,400トン超・速力約2ノット低下)
航続距離4,500海里/14kt(特I・II型標準値、特III型は燃費改善により実質向上)
乗員約219〜226名(特型標準値)
主砲50口径三年式12.7cm連装砲:3基6門(B型、第四艦隊事件後C型砲架へ換装)
魚雷発射管61cm3連装水上発射管:3基(計9射線、特III型では誘爆防止のため防楯式に変更)
所属駆逐隊履歴第10駆逐隊(狭霧・漣・暁、1932年)→横須賀鎮守府警備戦隊(1935年)→第6駆逐隊(暁・響・雷・電、1939年11月)
主要艦長履歴高橋一松少佐(初代、1932年8月〜)/橘正雄少佐/(兼)小田為清中佐/成田忠良中佐/佐藤康夫中佐/篠田勝清中佐/荘司喜一郎中佐/(兼)小山猛男中佐/川島良雄少佐/青木久治少佐/高須賀修少佐(1942年4月13日〜戦没)
特記事項①進水・竣工・就役は3番艦「雷」・4番艦「電」の方が先で、起工のみ4隻中最初だった
特記事項②1942年10月25日、ルンガ泊地突入で米艦隊曳船セミノール・沿岸哨戒艇YP-284を撃沈
特記事項③友鶴事件・第四艦隊事件を受け、艦橋縮小・バラスト搭載・上甲板補強等の徹底的な改善工事を実施
最終結末1942年11月13日午前1時50分、第三次ソロモン海戦第一夜戦で米軽巡アトランタを探照灯照射した直後、米艦隊の集中砲火を受け航行不能。約15分後に右に傾き転覆沈没。生存者18〜20名は捕虜となり、フェザーストン事件にも遭遇、戦後復員できたのは9名のみ
■ 吹雪型(特型)駆逐艦・特III型(暁型)について
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。暁・響・雷・電の4隻は、空気予熱器付きの新型ボイラーを採用し缶の数を4基から3基に減らしながら燃費を10%以上改善する技術革新を実現した「特III型」として建造されたが、ロンドン海軍軍縮条約の排水量制限によりこの4隻で建造打ち切りとなった。
全戦歴タイムライン
竣工から戦没・除籍まで
1930年2月17日 — 起工
佐世保海軍工廠で起工
  • 1928年6月16日、暁・響・雷・電の艦名が内定。1930年3月15日、4隻揃って正式命名・艦艇類別等級表登録。
1932年5月7日 — 進水
5月19日、第10駆逐隊編制(暁は未竣工)
  • 吹雪型姉妹艦2隻(狭霧・漣)により第10駆逐隊(司令・栗田健男中佐)編制。司令駆逐艦は「狭霧」。5月16日、高橋一松少佐が艤装員長に任命。
1932年11月30日 — 竣工
第10駆逐隊編入、吹雪型3隻に
  • 竣工と同時に第10駆逐隊へ編入、同隊は吹雪型3隻(狭霧・漣・暁)となる。12月1日、栗田大佐転任、加藤仁太郎大佐が後任司令。
1933年11月15日
第二水雷戦隊編制、4駆逐隊体制
  • 第二艦隊・第二水雷戦隊が川内型軽巡「那珂」と第6駆逐隊(響・雷・電)、第10駆逐隊(狭霧・漣・暁)、第11駆逐隊(白雪・初雪・深雪)、第12駆逐隊(薄雲・白雲・叢雲)で編制。
1934年6月29日
「電」と「深雪」の衝突事故、深雪沈没(参考)
  • 第二水雷戦隊演習中、第6駆逐隊「電」と第11駆逐隊「深雪」が衝突。深雪は沈没し7月5日除籍。
1935年8月1日
潜水艦伊6と衝突事故
  • 伊勢湾付近で潜航中の伊号第六潜水艦と衝突、相手の潜望鏡を損傷させる。11月15日、第10駆逐隊は横須賀鎮守府警備戦隊に編入。暁は予備艦となり翌年2月まで性能改善工事(友鶴事件・第四艦隊事件対応)を実施。
1937年〜1938年 — 日中戦争
船団護衛、沿岸封鎖、杭州湾上陸支援
  • 第二艦隊・第四水雷戦隊編入、中国北部船団護衛、南部沿岸封鎖作戦、杭州湾上陸作戦に参加。1938年4月、第10駆逐隊は予備駆逐隊となる。
1939年4月17日
前駐米大使遺骨輸送の米重巡アストリアを先導
  • 斎藤博・前駐米大使の遺骨を運ぶ米重巡「アストリア」を、吹雪型3隻(響・狭霧・暁)が先導し横浜港へ入港。日米両国旗を半旗に掲げる。
1939年11月15日
第10駆逐隊解隊、第6駆逐隊(暁・響・雷・電)編成
  • 漣は第7駆逐隊へ、狭霧は第20駆逐隊へ編入。暁は第6駆逐隊(第二艦隊・第四水雷戦隊、旗艦那珂)に編入され、吹雪型定数4隻(暁・響・雷・電)が揃う。
1941年1月〜11月
タイ・インドシナ紛争停戦示威、浦賀船渠で特定修理
  • 1〜2月、サンジャック沖に進出。2〜11月、浦賀船渠で特定修理。7月17日、一水戦旗艦が阿武隈から暁へ一時変更(9月26日に阿武隈へ戻る)。
1941年11月〜12月 — マレー・フィリピン作戦
南方部隊本隊として南方作戦に従事
  • 第一水雷戦隊旗艦「阿武隈」は真珠湾攻撃部隊として別行動、第6駆逐隊第1小隊(暁・響)は近藤信竹中将率いる南方部隊本隊に編入。
  • 11月29日佐伯湾出撃、馬公・三亜経由で12月11日カムラン湾入港。12月20日リンガエン湾上陸作戦を支援。
1942年1月〜3月
セレベス・ジャワ作戦、バタビア沖海戦
  • 1月11日、メナド攻略戦支援。ジャワ作戦船団護衛、バタビア沖海戦に参加。3月10日からフィリピン攻略作戦に再参加。
1942年3月17日
米潜水艦パーミットを発見・撃破
  • タヤバス湾で第6駆逐隊(暁・響・雷)が米潜水艦「パーミット」を発見、2日間攻撃。司令塔に損傷を与えるが撃沈には至らず。
1942年4月13日
高須賀修少佐、最後の艦長に着任
  • 姉妹艦「朧」駆逐艦長から異動。4月6日には第6駆逐隊司令も成田大佐から山田勇助中佐に交代。
1942年5月〜7月 — AL作戦
武蔵護衛、キスカ島占領作戦支援
  • 5月20日、暁・響が戦艦「武蔵」を護衛し長崎を出港、呉到着。5月22日、徳山港出港し第四航空戦隊(龍驤・隼鷹)を大湊まで直衛。
  • 5月28日AOB攻略部隊出港、6月7-8日キスカ島占領。6月12日、爆撃で損傷した「響」を6月13-27日に大湊まで護衛。
  • 7月11日、キスカ島へ第五警備隊司令・物資を輸送。燃料消費のため7月18日キスカを離れ、7月25日横須賀入港。
1942年8月〜10月
南方転戦、ガダルカナル輸送開始
  • 8月11日、薄雲が第6駆逐隊に編入。8月14日、軽巡阿武隈護衛中に対潜掃討。8月28日、機動部隊編入でガ島方面へ転戦。
  • 9月1日、磯波と共に空母瑞鳳・雲鷹の警戒艦として呉からトラックへ進出。9月18日、雲鷹・特設運送船を護衛。10月13日ラバウル到着。
1942年10月14日
ガダルカナル増援作戦、陸兵1,129名輸送
  • 第三戦隊(金剛・榛名)のヘンダーソン基地艦砲射撃に乗じる形で、橋本信太郎少将指揮の増援部隊(川内・由良・朝雲・白雪・暁・雷)が陸兵1,129名をガ島エスペランス岬へ輸送。
1942年10月17日
大規模輸送、由良掩護
  • 軽巡戦隊・水雷戦隊の大規模輸送作戦に参加。米潜水艦グランパスが由良を雷撃(不発)。暁は由良を掩護し爆雷攻撃(効果不明)。
1942年10月25日
ルンガ泊地突入、米曳船を撃沈
  • 突撃隊(暁・雷・白露、指揮官・山田勇助第6駆逐隊司令)がサボ島南方を通過しルンガ泊地に突入。掃海駆逐艦ゼインに命中弾1発。
  • 陸揚げ作業中の艦隊曳船セミノール、沿岸哨戒艇YP-284を発見・撃沈。海兵隊陣地への艦砲射撃では反撃を受け、暁の三番砲塔薬室に1発命中、戦死4名・重傷2名。
1942年11月1日
甲増援隊として大規模輸送
  • 第一攻撃隊(衣笠・川内・天霧・初雪)、甲増援隊(朝雲・天龍・村雨・春雨・夕立・時雨・白露・有明・夕暮・白雪・暁・雷)、乙増援隊がショートランド泊地を出撃。強風波浪のため装載艇9隻喪失も乙増援隊の輸送は成功。
1942年11月12日 23時30分 — 第三次ソロモン海戦
米艦隊との交戦開始
  • 暁は前進部隊(旗艦愛宕)と共にトラック泊地を出撃。挺身攻撃隊は一度も共同訓練していない「寄せ集め艦隊」のまま、悪天候の中で隊形を乱しつつガダルカナル島沖へ。
  • ノーマン・スコット少将指揮下の重巡2・軽巡3・駆逐艦8の米艦隊と遭遇。
1942年11月13日 午前1時50分 — 戦没
アトランタ照射、15分で転覆沈没
  • 暁の探照灯が右舷前方の米軽巡「アトランタ」を照射。艦首右にいた米駆逐艦から砲撃を受け一瞬で航行不能。砲術長以下戦死、操舵装置破壊。
  • 水雷長・新屋徳治中尉が予備操舵装置作動を試みるが火災で接近不可能。暁は制御を失い漂流、右に傾いて転覆。砲撃から約15分後に沈没。
  • 翌朝、新屋の周りに30〜40名の生存者がいたが、米軍に救助され捕虜となったのは18名のみ。木俣滋郎の分析では、軽巡ヘレナ・駆逐艦アーロン・ワード、または重巡サンフランシスコ・駆逐艦オバノンの反撃により機関室損傷、火災が火薬庫に引火し沈没したと推定。
  • 1992年の潜水調査で、米側生存者モアドック教授と新屋氏の証言が一致:暁がアトランタを照射した事実は確認されたが、暁を直接砲撃したのは別の艦だった。
1943年2月25日(参考)
フェザーストン事件
  • 暁の生存者18〜20名はニュージーランドへ捕虜として後送されたが、一部がフェザーストン事件に巻き込まれた。戦後復員できたのは9名のみ。
1942年12月15日 — 除籍
第三次ソロモン海戦戦没艦と共に除籍
  • 同海戦で喪失した重巡「衣笠」、駆逐艦3隻(暁・夕立・綾波)の除籍が決定。暁は帝国駆逐艦籍・白雪型駆逐艦・第6駆逐隊のそれぞれから除籍。特III型・第6駆逐隊として最初の犠牲艦となった。
まとめ
探照灯が照らした、最初の犠牲艦
吹雪型21番艦・暁は、特III型(暁型)4隻の1番艦として、ルンガ泊地突入で米曳船を撃沈する戦果を上げ、ガダルカナル輸送という地味だが欠かせない任務を繰り返した艦である。竣工は4隻中最初だったが、進水・就役は3番艦「雷」・4番艦「電」の方が先という、ねじれた誕生の経緯を持っていた。

1942年11月、第三次ソロモン海戦第一夜戦では、敵艦隊発見を味方に知らせるための探照灯照射が、そのまま自らへの集中砲火を呼び込んだ。被弾からわずか15分で転覆沈没——探照灯を照らすという行為が持つ、最初の発見者であると同時に最も早い犠牲者になるという過酷な非対称性を、この艦の最期は物語っている。

暁が残したものは、撃沈数ではなく「最初に発見し、最初に犠牲になった」という事実そのものである。

⚓ 猫工艦ミリタリーグッズはこちら

第6駆逐隊の最初の犠牲艦——暁の物語を、その身に纏う。

「探照灯が照らした夜——暁、最初に見つけ、最初に散った艦」

SHOP を見る →

▼ 関連記事

■ 参考文献・資料

  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書83『南東方面海軍作戦(1)』朝雲新聞社、1975年
  • ・新屋徳治「第三次ソロモン海戦 駆逐艦『暁』ガ島沖に消ゆ」『丸別冊 太平洋戦争証言シリーズ9 ソロモンの死闘』光人社、1988年
  • ・落合康夫「特型駆逐艦(朧、曙、漣、、暁、響、雷、電)行動年表」『写真 日本の軍艦10 駆逐艦I』光人社、1990年
  • ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • ・志賀博ほか『駆逐艦物語』潮書房光人社、2016年
  • ・井上尚一『駆逐艦「暁」主計科兵曹どんぱち奮迅録』
  • ・高松宮宣仁親王『高松宮日記』第5巻
  • ・宮内庁編『昭和天皇実録 第七』東京書籍、2016年
  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報
  • ・Wikipedia「暁 (吹雪型駆逐艦)」
— OFFICIAL STORE —
FIELD TO STREET // 着る、戦術。
NECOKOUCAN SHOP
ミリタリーグッズ・オリジナルTシャツ・全アイテムはこちら
T-TRINITY| PREMIUM TEE| ¥4,400〜
ENTER SHOP →
ttrinity.jp
NECOKOUCAN — EST. 2023 — FUKUOKA