「勝利の翌日に失う」——ケ号作戦全完遂の13日後に沈んだ朝潮型2番艦「大潮」の全記録

1943年2月20日——ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)、全3回の出動を成功させた翌日。帰途についた「大」は輸送船団を護衛しながらアドミラルティ諸島マヌス島沖を航行していた。その時、米潜水艦アルバコアが発射した魚雷のうち1本が右舷前部機械室付近に命中した。航行不能となった大潮は荒潮に曳航されたが、翌21日朝、船体が中央部で断裂して沈没した。5,183名のガダルカナル守備隊を救い出したその翌日——大潮は最後の任務を果たし切った瞬間に、海の底へ沈んだ。

「大」は朝潮型駆逐艦2番艦として1937年10月に竣工した。舞鶴海軍工廠が建造を担当し、起工の際に舞鶴要港部司令官・中村亀三郎中将が自作の和歌を贈った——「のどかなる さくらさきそう 春の海に しぶきたてゆく ふなおろし見る」。桜が咲く春の海に飛び込んでいく艦——その詩のとおり、大潮は太平洋の最前線を駆け続けた。バリ島沖では朝潮と2隻でABDA艦隊を撃退し、長い修理ブランクを経て、ガダルカナルの最終輸送作戦に全力を尽くした。

そして——バリ島沖では「大活躍の翌日に空襲で大損傷」、ケ号作戦では「全任務完遂の翌日に潜水艦に撃沈」。大潮の艦歴には、「勝利の翌日に失う」という残酷な繰り返しがあった。戦死者はわずか8名という少なさが、乗員が最後まで艦を守ろうとした努力を物語っている。

■ 朝潮型2番艦「大」基本諸元 ■
建造所
舞鶴海軍工廠
起工 1936年8月5日
進水 / 竣工
1937年4月19日 / 1937年10月31日
竣工は朝潮より約2ヶ月後
基準排水量
1,961t(基準)
2,635t(公試)
全長 118.0m / 全幅 10.386m
最大速力
大潮公試 34.85ノット
出力 52,000馬力
主砲
三年式12.7cm C型連装砲
3基6門
魚雷
九二式61cm四連装×2基
(8射線・九三式酸素魚雷)
機関 / 航続距離
ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基
18ktで5,000海里
所属駆逐隊 / 乗員
第8駆逐隊
(第2水雷戦隊)
約230名 / 朝・満・荒潮と編成
最終・結末
1943年2月21日
アドミラルティ諸島沖 沈没
米潜水艦アルバコアの雷撃 / 戦死者8名
「春の海に飛び込んでいく艦」——大潮の誕生と竣工時の和歌

大潮の起工は1936年8月5日。竣工が1937年10月31日と、朝潮型の中では2番目に早い完成だった。起工の際、舞鶴要港部司令官・中村亀三郎中将が贈った和歌——「のどかなる さくらさきそう 春の海に しぶきたてゆく ふなおろし見る」——は、艦の生涯を象徴するような詩だった。穏やかな春の海ではなく、大潮が走り続けたのは爆撃と魚雷が飛び交うバリ島沖とダンピール海峡だった。竣工後はすぐに臨機調事件(タービン翼折損)の改修で予備艦扱いとなり、第8駆逐隊として前線に出るのは1941年末まで待たなければならなかった。

■ 大 全戦歴ハイライト ■
【1937年10月31日】:舞鶴海軍工廠にて竣工。臨機調事件による予備艦期間を経て1939年11月に第8駆逐隊へ
【1941年12月〜】:開戦・マレー上陸作戦、リンガエン湾上陸作戦に第8駆逐隊として参加
【1942年2月19-20日】バリ島沖海戦。朝潮と2隻でABDA艦隊を迎撃、蘭駆逐艦ピートハインを撃沈。山本司令長官から感状受賞
【1942年2月20日(翌朝)】:撤退中に空襲で至近弾浸水。速力10ノット以下に低下し長期修理入り
【1942年12月29日】:約10ヶ月の修理を完了して前線復帰。大発動艇搭載装置を追加
【1943年1月〜2月】:ショートランド泊地に入港。第6次ガダルカナル輸送に参加後、ケ号作戦(ガ島撤収)全3回(2月1日・4日・7日)を全て成功させる
【1943年2月20日】ケ号作戦完了の翌日、輸送船護衛中にアドミラルティ諸島マヌス島沖で米潜水艦アルバコアの雷撃。右舷前部機械室付近に魚雷1本命中、航行不能
【1943年2月21日朝】荒潮に曳航中、船体中央部が断裂して沈没。戦死者8名。除籍1943年4月1日
バリ島沖海戦(1942年2月19-20日)——勝利の翌朝に失った速力

2月19日夜のバリ島サヌール泊地——大潮艦長の吉川潔中佐(海兵50期)は、ABDA艦隊が来襲した時に迷わず突入した。朝潮と2隻で軽巡を含む5隻を相手にし、蘭駆逐艦ピートハインを撃沈した後、さらに夜明け前に第2波の敵艦隊(軽巡トロンプと駆逐艦4隻)に対して大潮は無謀とも言える突入を敢行し、敵艦を撃破しながら自艦も損傷を受けた(吉川艦長の傍若無人な戦いぶりは後のソロモンでも発揮される——この9ヶ月後、吉川艦長は夕立艦長として第三次ソロモン海戦で全力突入し伝説となる)。

海戦は日本の勝利だった。しかしその翌朝——撤退中の大潮は空襲による至近弾を受けて浸水し、速力が10ノット以下に低下した。朝潮の損傷よりも浸水量が大きく、大潮はマカッサルで応急修理を受けた後、横須賀に帰投して長期修理に入った。この修理が約10ヶ月にも及んだため、大潮はガダルカナル島攻防戦の前半を全て見逃すことになる。

■ バリ島沖海戦から翌日の損傷まで ■
2月19日夜
・朝潮が泊地でABDA艦隊第1波を迎撃。蘭駆逐艦ピートハイン撃沈。大潮艦長・吉川潔中佐は積極果敢に突入を繰り返す
2月20日0300
第2波(軽巡トロンプ・駆逐艦4隻)に対して大潮が再度突入。命中なしも敵艦を撃破。大潮も被弾
翌朝(空襲)
撤退中に空襲を受け至近弾が大潮に命中。浸水量が大きく速力10ノット以下に低下。事実上の航行困難状態
2月〜12月
マカッサル応急修理→横須賀長期修理。約10ヶ月間、前線から完全に離脱。修理中に大発動艇搭載装置を追加
■ 吉川潔艦長——「大→夕立」に受け継がれた突入精神
バリ島沖で大潮を傍若無人に突撃させた吉川潔中佐は、その後1942年11月の第三次ソロモン海戦で白露型「夕立」の艦長として単艦で米艦隊に突入した。「ソロモンの悪夢」と呼ばれた夕立の奮戦は、この「大潮での戦いぶり」から連続している。つまり吉川艦長にとって大潮は、その戦術的個性が最初に発揮された艦だった。
10ヶ月の沈黙——大潮が見逃した「ガダルカナルの激闘」

1942年3月から12月末まで——大潮は横須賀の修理ドックに繋がれていた。この10ヶ月間に、太平洋の戦況は劇的に変化した。ミッドウェー海戦(6月)で日本は空母4隻を喪失し、ガダルカナル島の争奪戦(8月〜)が始まり、第三次ソロモン海戦(11月)で「夕立」「暁」が失われた。第8駆逐隊の僚艦・朝潮と荒潮はガダルカナルの鼠輸送に繰り返し出動し、消耗していた。大潮だけが修理中で、その激動を横須賀から見ていた——あるいは見ることもできなかった。バリ島沖で被弾した大潮は、マカッサルでの応急修理後、第4水雷戦隊へ編入替えとなり、高雄を経由して横須賀へ回航された。長い旅路の末、5月15日には「特別役務艦」に指定され、実戦艦籍から一時的に外れることになる。この処置自体が、被害の深刻さを物語っていた。

■ 大 10ヶ月の修理ブランク ■
1942年4月10日
バリ島沖海戦で損傷した大・満潮の第8駆逐隊は、第4水雷戦隊に編入替え。応急修理艦としての扱いに
4月16-17日
マカッサルでの応急修理を終え、高雄を経由して本土へ回航開始
4月22日
横須賀に帰港。応急修理から本格的なドック入りへ
5月10-12日
横須賀を出発し呉へ回航。長期修理のための最終移動
5月15日
「特別役務艦」に指定。実戦艦籍を離れ、長期のドック生活が確定する
12月29日
約10ヶ月ぶりに前線復帰。しかしガダルカナルはすでに「撤退」が決定した後だった
■ 1942年——大潮が修理中に何が起きたか
・6月:ミッドウェー海戦で空母4隻喪失(大潮が護衛していた朝・荒潮は三隈護衛で損傷)
・8月:ガダルカナル島の戦い開始
・11月:第三次ソロモン海戦——夕立・暁が戦没、比叡沈没
・12月:僚艦・満潮が大破浸水でショートランドに釘付け
この全てを大潮は「修理中」として経験しなかった。12月29日に前線復帰した時、ガダルカナルはすでに「撤退」が決定されていた。大潮が戻った時、戦場は「攻め」から「逃げ」に変わっていた。
1943年2月——ケ号作戦全完遂の翌日、アドミラルティの海底へ

1943年2月1日・4日・7日——ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)の全3回に、大潮は参加した。夜の暗闇と霧を利用し、5,183名のガダルカナル守備隊全員をピックアップして脱出させた——史上最も成功した撤退作戦の一つとして評価されるこの作戦を、大潮は全て完遂した。作戦は成功した。誰一人取り残さなかった。

2月20日——任務完了から13日後。輸送船団護衛でアドミラルティ諸島マヌス島沖を航行中、米潜水艦アルバコアが発射した6本の魚雷のうち1本が大潮の右舷前部機械室付近に命中した。航行不能となり、荒潮が曳航を開始した。しかし翌21日朝、長夜の曳航の末に船体が中央部で断裂し、大潮は沈没した。高松宮日記の記録では「〇六〇三 大 雷撃ヲ受ケ内一本前部機械室右舷ニ命中、前後部機械室・三缶浸水、航行不能。浸水量合計700t、戦死8、重傷1」と記されている。

■ ケ号作戦完遂から沈没まで ■
2月1日
ケ号作戦第1次。大・荒潮ら8隻でガ島へ。約2,000名をピックアップして帰投成功
2月4日
第2次。さらに多くの将兵をピックアップ。成功
2月7日
第3次(最終回)。5,183名の撤収完了。ガダルカナル守備隊の全員生還。大潮も全任務を完遂
2月20日0603
輸送護衛中、マヌス島沖で米潜水艦アルバコアの雷撃1本命中。右舷前部機械室・三缶浸水700t。航行不能
2月21日朝
荒潮による曳航中に船体中央部が断裂・沈没。戦死者8名(士官1・下士官兵7)。荒潮が乗員を収容してラバウルに帰投
■ 「バリ島沖の翌日」「ケ号完遂の翌日」——大潮の残酷な繰り返し
大潮の艦歴には「勝利・完遂の翌日に失う」というパターンが2度繰り返された。バリ島沖では蘭駆逐艦を撃沈した翌朝に空襲で大損傷。ケ号作戦では5,183名を救い出した13日後に潜水艦に撃沈。これは偶然ではなく、「最前線で任務を果たすほど、帰途での危険が増す」という消耗戦の構造そのものだった。戦死者8名という少なさは、乗員が最後まで艦を守ろうとした努力の結果だった。
猫工艦の考察:「勝利の翌日」に繰り返された悲劇の意味

大潮の本質は「最後まで任務を全うした艦」にある。10ヶ月の修理ブランクを経て前線に復帰し、ケ号作戦全3回を完遂した。守備隊全員を救い出した——その達成から13日後に沈んだという事実は、大潮の「完全な任務完遂」をより鮮明に浮かび上がらせる。もしケ号作戦の途中で沈んでいれば「未完の艦歴」になっていた。大潮はギリギリで「完全燃焼」した。

しかし「勝利の翌日に失う」という繰り返しは、戦争の消耗戦の本質を示している。バリ島では戦闘に勝って翌朝に大損傷。ケ号作戦では作戦を成功させて帰途に沈んだ。どちらも「勝利」の後に来る無防備な瞬間を突かれた——それは「勝利の後にも危険は続く」という、駆逐艦が置かれた常態を示している。大潮型が10隻全て戦没した理由の一端が、この繰り返しの中にある。

「のどかなる さくらさきそう 春の海に しぶきたてゆく ふなおろし見る」——竣工時に贈られたその和歌のように、大潮は波しぶきを蹴立てながら最前線を駆け続けた。バリ島沖の夜の戦闘も、ガダルカナルの撤収作戦も、最後のアドミラルティの朝も——大潮はいつも正面から波に向かっていた。猫工艦は、10ヶ月の沈黙を経て最後の任務を全うしたその航跡に、今も敬意を捧げたい。

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