陽炎型 · 4番艦 · 第15駆逐隊(司令駆逐艦)
OYASHIO 親潮
先頭を継いだ艦、ブラケット海峡で真っ先に消えた司令駆逐艦
陽炎型駆逐艦19隻の4番艦。1940年8月竣工。1942年2月、僚艦「夏潮」の戦没後、第15駆逐隊の司令駆逐艦を継承。以後は大型艦護衛を堅実にこなした。1943年5月8日、ブラケット海峡でのコロンバンガラ輸送作戦帰途、隊列の先頭を切って触雷。僚艦「黒潮」「陽炎」と共に、第15駆逐隊は一日で全滅した。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
陽炎型 4番艦
DISPLACEMENT
2,000 t
MAX SPEED
35.0 kt
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1943.5.8 戦没
| 艦名 | 親潮(おやしお) |
| 艦型・番艦 | 陽炎型駆逐艦 4番艦 |
| 建造所 | 舞鶴海軍工廠 |
| 起工日 | 1938年3月29日 |
| 命名 | 1938年9月20日 |
| 進水日 | 1938年11月29日 |
| 就役日 | 1940年8月20日 |
| 全長 | 118.5m |
| 基準排水量 | 2,000トン |
| 機関 | ロ号艦本式缶3基/艦本式タービン2基2軸 |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 速力(計画) | 35.0ノット |
| 主砲 | 12.7cm連装砲C型 3基6門(最大仰角55度) |
| 魚雷発射管 | 九二式61cm4連装発射管 2基8門 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷 |
| 対空機銃 | 25mm連装機銃2基(竣工時。1943年以降増備) |
| 初代艤装員長 | 金岡国三中佐(吹雪型6番艦「東雲」元艦長) |
| 歴代艦長 | 金岡国三中佐 → 有馬時吉中佐(1941年9月〜、綾波元艦長) |
| 所属 | 呉鎮守府/第15駆逐隊(早潮・夏潮→黒潮編入で4隻編制) |
| 特記事項 | 1942年2月、僚艦「夏潮」戦没後に第15駆逐隊の司令駆逐艦を継承。艦名は戦後、海上自衛隊潜水艦「おやしお」に継承 |
| 戦没 | 1943年5月8日 ブラケット海峡 |
| 戦没原因 | 隊列先頭を航行中に触雷。米軍機の空襲を受け同日中に沈没 |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没まで
1938年3月29日 — 起工
舞鶴海軍工廠で起工
- 陽炎型19隻の4番艦として建造が開始された。
1939年12月1日 — 艤装員長任命
金岡国三中佐が艤装員長に任命
- 吹雪型6番艦「東雲」の艦長を務めた人物が着任した。
1941年12月 — 開戦
フィリピン攻略戦に参加
- ダバオ・ホロ攻略作戦に従事した。
1942年1月4日〜 — 蘭印攻略戦
メナド・ケンダリー・アンボン・マカッサル各攻略作戦
- 南方資源地帯の攻略作戦を連続して支援した。
1942年3月15-22日 — 空母護衛
空母「加賀」を護衛し佐世保帰投
- パラオで座礁し艦底損傷中の加賀をスターリング湾から護衛した。
1942年7月20日 — 部隊編入
「陽炎」編入、15駆が再び陽炎型4隻に
- キスカで被害を受けた第18駆逐隊から難を逃れた陽炎が加わった。
1943年1月17日 — 修理
トラックで応急修理
- 2月1日「箱崎丸」護衛でトラック出発、2月9日呉到着、3月22日まで本格修理を実施した。
1943年4月4日 — 護衛任務
大型艦3隻を護衛しトラックへ
- 漣・響・黒潮と共に空母大鷹・冲鷹、重巡鳥海を護衛。米潜水艦タニーの襲撃を受けるも被害はなかった。
1943年4月29日〜5月7日 — 輸送任務
コロンバンガラ島輸送任務(奇数回担当)
- 第1回・第3回輸送は成功。同一航路の反復使用が米軍に察知されることになる。
1943年5月6日 — 機雷敷設
米軍、ブラケット水道に機雷敷設
- 敷設駆逐艦ガンブル・ブリーズ・プレブルが投入された。
1943年5月8日 04:06〜05:06 — 僚艦も触雷
陽炎・黒潮も相次いで触雷
- 黒潮は瞬時に沈没(戦死83名)。陽炎は航行不能となった。
1943年6月20日 — 除籍
除籍、第15駆逐隊解隊
- 陽炎型の名称も「不知火型駆逐艦」に改定された。
SUMMARY
RECORD
親潮 全艦歴まとめ
陽炎型19隻の4番艦「親潮」は、1942年2月に僚艦「夏潮」を失った後、第15駆逐隊の司令駆逐艦という重責を引き継ぎ、以後は空母や重巡といった大型艦の護衛を堅実にこなし続けた。しかし1943年5月8日、ブラケット海峡でのコロンバンガラ輸送作戦の帰途、隊列の先頭を航行していた「親潮」が真っ先に機雷に触れ、僚艦「黒潮」「陽炎」を巻き込む形で第15駆逐隊は一日で全滅した。責務を引き継ぎ続けた艦が、最も早くその代償を払うことになった最期だった。
先頭に立ち続けた艦——夏潮の戦没後に司令駆逐艦の重責を継承し、輸送任務でも常に隊列の先頭を担った「親潮」。その責任感の強さが、皮肉にも機雷原への最初の突入という結果を招いた。先頭に立つ者の宿命を体現した最期だった。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書各巻、朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)親潮関連公文書
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社、1993年
- ・学習研究社『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.19 水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦』1998年
- ・Wikipedia「親潮 (駆逐艦)」「陽炎型駆逐艦」