1943年5月8日未明、ソロモン諸島ブラケット海峡——コロンバンガラ島への5回目の輸送任務を終えた「陽炎」は、先頭を行く僚艦「親潮」が爆発を起こすのを見た。「敵潜水艦の雷撃だ」。艦長はそう判断し、爆雷を投下するよう命じた。しかし、そこに敵潜水艦は存在しなかった。10分後、「陽炎」自身も同じ海域で船体を突き上げられる。原因は魚雷ではなく、5日前にアメリカ軍が敷設した機雷だった。
「陽炎」は、太平洋戦争における日本海軍の艦隊型駆逐艦の集大成——陽炎型19隻の1番艦、すなわちネームシップである。朝潮型で積み残した「頑丈すぎる船体」という反省を克服し、友鶴事件・第四艦隊事件の教訓に完全対応した初めての駆逐艦として、1939年11月、同型艦中もっとも早く竣工した。竣工時から九三式酸素魚雷を搭載した最初のクラスであり、軍令部が思い描いた「理想の艦隊型駆逐艦」がここに完成したといえる。
真珠湾攻撃からミッドウェー、ガダルカナルの死闘、そしてルンガ沖夜戦での重巡撃沈——「陽炎」は艦隊決戦のために設計された艦として、期待通りの戦果を挙げた。しかし、その最期を迎えたのは、敵艦との砲雷撃戦ではなく、存在しない潜水艦を追って彷徨った先の機雷原だった。ネームシップに与えられた皮肉な結末を、艦歴の全てから辿る。
1937年9月3日
1939年11月6日竣工(同型艦中最速)
山本岩多中佐
全長118.5m
52,000馬力
九三式酸素魚雷搭載
竣工最速・酸素魚雷搭載最初のクラス
ブラケット海峡で触雷沈没
1934年12月、日本がワシントン海軍軍縮条約の破棄を通告すると、海軍は条約の制限に縛られない大型駆逐艦の整備に着手した。先行する朝潮型は、第四艦隊事件のショックから船体を過剰なまでに強固にした結果、重量がかさみ燃費や機動性能を犠牲にしていた。陽炎型はこの反省を踏まえ、設計を一から引き直し、電気溶接を可能な限り活用して軽量化と強度の両立を図った艦型である。「陽炎」はその3番目に起工され、同型艦の中でもっとも早く竣工したことで、事実上のネームシップとしての地位を担うことになった。
1942年11月29日夜、田中頼三少将率いる第二水雷戦隊の駆逐艦8隻は、ガダルカナル島への「ドラム缶輸送」のためルンガ沖に到着した。「陽炎」はこのとき、輸送任務のため魚雷16本のうち予備魚雷8本を陸揚げしていた——つまり、半分の戦力しか残していない状態で、この夜の戦闘に臨むことになる。
日本の輸送作戦を察知したカールトン・ライト少将率いる米艦隊(重巡3・軽巡1・駆逐艦6)が急襲し、ルンガ沖夜戦が勃発した。「陽炎」は攻撃命令を受けてドラム缶投下を中止、魚雷戦の準備に入った。しかし後続する僚艦「巻波」との連携中に隊列を見失い、他艦より遅れて米艦隊を追撃する形になった。出遅れながらも「巻波」と共に魚雷を発射し、そのうち2本が重巡ノーザンプトンに命中。同艦はまもなく沈没した。日本側は「高波」を失ったものの、重巡3隻を大破させ、この夜の戦術的勝利を収めた。
輸送任務との兼務で戦力を半減させていたにもかかわらず、僚艦との連携ミスで出遅れながらも重巡を屠った——この夜の「陽炎」は、艦隊型駆逐艦として設計通りの仕事をやってのけた。つまりどういうことか。ネームシップとして期待された「水雷戦の理想形」を、本来の任務ではない輸送作戦のさなかに証明してみせたということだ。
1942年8月18日夜、「陽炎」は僚艦5隻(嵐・萩風・谷風・浦風・浜風)と共に陸軍一木支隊をガダルカナル島に揚陸させた。翌19日、任務を終えた第17駆逐隊の3隻はラバウルへ帰投し、昼にはB-17の空襲で「萩風」が大破、「嵐」がこれを護衛して撤退した。その結果、ガダルカナル島付近に残る日本駆逐艦は「陽炎」ただ1隻となった。米軍機の空襲を受けながらも、陽炎はツラギ方面の偵察と対地砲撃を単艦で実施し続けた。
その2ヶ月後、10月26-27日の南太平洋海戦では、米艦隊を追撃した「陽炎」と「巻波」が、空母エンタープライズとホーネットの搭乗員各1名を捕虜にしている。海に投げ出された敵パイロットを引き上げるという行為は、殺し合う海戦の最中にあっても駆逐艦乗りたちに課せられた、もう一つの現実だった。
8月18日:僚艦5隻で一木支隊揚陸に成功
8月19日:僚艦次々に被弾・撤退。ガ島付近に残るのは陽炎ただ1隻に
8月19日以降:単艦でツラギ偵察・対地砲撃を継続
8月21日:交代艦「江風」到着、ようやくショートランドへ後退
つまりどういうことか。陽炎型は艦隊決戦用に設計された艦でありながら、実際には「たった1隻で戦線を支える」という、設計者が想定しなかった役割を強いられ続けたということだ。
1943年に入り、ガダルカナルからの撤退(ケ号作戦)を経て、「陽炎」は第15駆逐隊(親潮・黒潮・陽炎)としてコロンバンガラ島への輸送任務に投入されていた。4月29日、5月3日と2回の輸送は成功していたが、毎回同じブラケット水道を通過するルートを取っていたため、アメリカ軍はこの航路の存在を察知し、5月6日、敷設駆逐艦3隻によってブラケット水道に機雷を敷設した。
5月7日17時、「親潮」「黒潮」「陽炎」はブインから5回目の輸送に出撃。8日未明にコロンバンガラ島ヴィラ泊地での揚陸を終え、3時10分頃に出港した。ブラケット水道を通過中の3時59分、先頭を行く「親潮」が爆発を起こす。「黒潮」と「陽炎」はこれを潜水艦の雷撃と判断し、爆雷を投射した。存在しない敵を求めて「親潮」の周囲を捜索していた「陽炎」自身も、4時6分から11分の間に触雷。第一缶室と第二缶室に浸水し、航行不能となった。この直後、「黒潮」も触雷して爆沈している。当時の水雷長・高田俊夫大尉は戦後、「魚雷を発射しなくても大砲や機銃を撃てば良かったのかもしれないが、日本海軍は事前にそういう訓練はしてないので、撃つという発想がなかった」とルンガ沖の反省を語っているが、この夜もまた、見えない敵を相手に艦は沈んでいった。
「魚雷を発射しなくても大砲や機銃を撃てば良かったのかもしれないが、日本海軍は事前にそういう訓練はしてないので、撃つという発想がなかった」
——ルンガ沖夜戦での攻撃機会を振り返っての回想
——当時「陽炎」水雷長・高田俊夫大尉(戦後の回想録より)
「陽炎」の本質は、「理想として設計された艦が、想定外の現実に投げ込まれ続けた」という一点にある。友鶴事件・第四艦隊事件の教訓を完全に反映し、酸素魚雷を初めて搭載した艦隊決戦用の駆逐艦——それが陽炎型であり、そのネームシップだった。しかし太平洋戦争で「陽炎」が実際に強いられたのは、艦隊決戦ではなく、輸送船護衛と鼠輸送、そして単艦での戦線維持だった。
しかし、この艦は与えられた現実の中で確かな戦果を残している。ガダルカナルでたった1隻残されても偵察と砲撃を続け、半分の魚雷しか持たない状態でノーザンプトンを屠った。一方で、その最期は皮肉なものだった。存在しない潜水艦を追って彷徨った先で機雷に触れる——設計上の「理想」がどれほど優れていても、戦場の現実はそれを嘲笑うかのように牙を剥く。
この艦が残したものは何か。「陽炎」という名は、その後19隻の同型艦全てに受け継がれ、日本海軍の艦隊型駆逐艦の代名詞となった。ネームシップ自身は栄光の海戦ではなく、名も無き機雷原で消えた。しかし、その名を継いだ艦たちが太平洋の各地で戦い抜いたことこそが、この艦の本当の遺産だろう。猫工艦は、輝かしい戦果と皮肉な最期の両方を背負った、このネームシップに敬意を表したい。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書29『北東方面海軍作戦』朝雲新聞社、1969年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書49・83・96『南東方面海軍作戦』各巻、朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)陽炎関連公文書・海軍辞令公報
- ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- ・佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争』光人社NF文庫、1993年
- ・高田敏夫「第十五駆逐隊触雷沈没記」『丸別冊 太平洋戦争証言シリーズ1』潮書房、1985年
- ・重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦』潮書房光人社、2014年
- ・Wikipedia「陽炎 (陽炎型駆逐艦)」「陽炎型駆逐艦」